林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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書彩2

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『ふるほんやのざつし 書彩』第二号(葵書房内書彩発行所、一九四九年一〇月一日)。

彩ノート………百艸菴主
古物明細帖 その二………後藤和平
憎まれ漫談………中村蕪生
書物よもやま話[座談会]………中村智丸(葵書房)、沢田恵介(沢田書店)、松村辰之助(松村書店)、鉢木信夫(元町美術の店)、玉田一郎(百艸書屋
茂九六九
編輯後記………百艸記
印刷所 三光堂神戸店 神戸市須磨区大黒町三丁目四九


後藤和平(後藤書店)の「古物明細帖 その二」から明治末頃の神戸の古本屋事情を簡単にまとめておく。古本屋が増え出したのは日露戦争前後からであった。後藤はトーアロードの踏切近くで生れ、明治四十一年尋常高等小学校卒業(ということは明治二十八年頃の生れ)、パルモア英学院に通学。その頃から二銭、三銭、五銭の均一本を漁るようになった。

明治四十三年父が死んで、月給七円ではどうにもならず、勤めも嫌になつて我楽多の蔵書を石油箱に一箱を元に、古本屋開業と決め、相談に出かけたのが前記の久保昌栄館であつた。月一回河合書店で市があるからと教へられ、御共した。当時の市は十人位の集りで、帝国百科全書とか、蘇峰の日曜論談とか、紙表紙の浪六や紅葉や風葉その他の小説とか、イーストレーキの会話等等、明治三十年代の出版物に、大阪の赤本が出品された。

私が、英語の本を逆さに見ない程度であつたが、当時では新進で、表題位がおぼろに解るので相当重宝がられた。旧ロゴス書店の下角で二坪位の小店を手に入れ、毎日夕方から開店した。開店第一日は、六拾銭余り売れた。

私の小店は、場所柄洋書や英語の参考書等が多く売れたが、何分品物が少く加ふるに家賃が十八円もするので引合はず、当時神戸の古本屋街であつた北長狭通りへ移転した。この店は家賃が七円でほつとした。片側は書棚で片側は襖に桟を打ちつけ、書棚を平面に立てかけて置いた。こうする事に依り、少い商品で陳列し得るからで、当時は一流の四五軒以外はかうした陳列の店が多かつた。
 市会も月一二回で、其の量も少く、多くは「よせや」で探し出してくるのだが、よせ屋廻りをする事を嫌つて一度も出かけなかつた私の店は、いつまでも商品が詰まらず、棚の一部も平面にならべられる事が多かつた。

初め二三円でしかなかつた此の店の売上も、四十四年頃から七八円前後売れる様になり古本の知識も少し解り出し、商品も少しづつ増加して行つた。

大阪の淡路町に長谷川文々堂といふ古本の卸屋があると松浦氏の先考に教へられ文々堂へ始めて行つた。でつぷりと肥満した五拾才を出たであらうと思はれる此の店の主人は、うづ高く積み上げられた内から、神戸ではこんな本が売れる、こんな本も売れると気前よく薄利で売つてくれるのであつた。

そこで杉山氏や高尾氏と知合いになり、鳥居書店の二階で開かれる市へも出席するようになった。それが大阪古典会の市の前身であろう。西宮で仕入れた写本や俳書や錦絵類をこの市で売りさばいた。

当時私の店へ顔の青白い青年が風呂敷包に古本を背負ひ店に這入つて来て、話し込んだり集めて来た商品を見せたり、そんな高く買はなくても「よせ屋」廻りをせよと、しきりに進[ママ]めるのであつた。事実、古本等は大部分「てんや」に拂下げられる事の多かつた当時のよせ屋には、相当な本がよく出たのである。この青年は野村尚友堂先考で、野村氏の店は県病院の下手に雑誌や小説等をうづ高く集めて居られた。

神戸の古本力』(みずのわ出版、二〇〇六年)を作っているときにこの文章を知っていればなあ……と思っても後の祭りである。『書彩』については触れているのだが、創刊号、二号は未見であった。

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by sumus2013 | 2017-09-09 20:59 | 関西の出版社 | Comments(0)
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