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林哲夫の文画な日々2
by sumus2013


老子道徳経

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makino さんより久し振りの古本便りが届いた。ウィーンで古本漁りとは羨ましいかぎり。

7月末にウイーンのシュレーディンガー研究所に行ったおり、時間を盗んで、ナッシュマルクトの蚤の市に行ってみました。そこで5オイロで拾ったドイツ語訳『老子』(H. Federmann訳・1921年ミュンヘン刊)の書影を添付します。瀟洒な本で、大いに気に入りました。しかし、冒頭の「道可道,非常道。名可名,非常名。云々」の「道(タオ)」を「der GEIST」と訳して、
Der GEIST, den man aussprechen kann, ist nicht der ewige GEIST.
とやっつけてるのは、どうでしょうか。見識と云うべきか、武断と云うべきか。ちなみに、アーサー・ウエイリの英語訳では
The Way that can be told of is not an Unvarying Way;
とやっつけているので、直訳ですが、これだけでは英語国民にはぴんと来ないかも知れませんね。

いただいた画像がちょっとピンボケなのだが、なんとか読めるか。といってもドイツ語には暗いので読める方どうぞ。「GEIST」は「精神」というような意味だから「道」の訳語としてはかなり大胆というか、はっきり言って誤訳だろう。

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老子の英独対訳などはいろいろなサイトで閲読できる。ご興味ある方はぜひ検索されたし。原文および和訳も数々あるようだが、とりあえずこちらを引用しておく。

老子道徳経 ( 道家思想 《老子・荘子》)

ついでにフランス語はどうなのかと思って捜してみると一八四二年刊のスタニスラス・ジュリアン(Stanislas Julien)による翻訳書を閲覧できることが分った。

LAO TSEU TAO TE KING 老子道徳経
Le Livre de la voie et de la vertu

解説文でジュリアンは「道」(Tao タオ)についてこういう解釈を施している。

le Tao est dépourvu d'action, de pensée, de jugement, d'intelligence. Il paraît donc impossible de le prendre pour la raison primordiale, pour l'intelligence sublime qui a créé et qui régit le monde.

タオというのは行動も思想も判断も知性もない。原初の道理、世界を創造し支配している崇高な知性をそれだとするのは不可能のようである……。で「GEIST」のところはもちろん英訳の「The Way」と同じように「La voie(道)」としているが、意味を補いつつ丁寧に訳している。「常」をéternelle(永遠の)と解釈しているのも興味深い。

道可道、非常道。名可名、非常名。
無名天地之始、有名萬物之母。

《 La voie qui peut être exprimée par la parole n'est pas la Voie éternelle;le nom qui peut être nommé n'est pas le Nom éternel.
 (L'être)sans nom est l'origine du ciel et de la terre;avec un nom, il est la mère de toutes chose.

なお、本書では本文中に漢字が散見されるが、一八四二年においてすでに漢字の活字を鋳造していたということになる。印刷は王立印刷所(L'IMPRIMERIE ROYALE)で行われたとタイトルページに明記されている。これは、手短に言うと、オルレアン公爵ルイ=フィリップ(一八三〇年の七月革命で王位に就き一八四八年に二月革命で倒される)の王政下で刊行されたためわざわざロワイヤルとしたのだと思う。

この件の事情について説明してくれる一文を発見した。小宮山博史「日本の明朝体 金属活字の源流」(『京古本や往来』第五十七号、一九九二年七月二〇日)に下記のようにある。

使われている漢字すべてが母型から鋳造された明朝体と見なせるものは、まず一八四五年フランス王立印刷所が刊行した『王室印刷所活版見本』(Spécimen Typographique de L'Imprimerie Royale)の中にある十六ポイント明朝体二種をあげることができる。これは一八三六〜三八年にかけてスタニスラス・ジュリアン(Stanislas Julien)が中国派遣宣教師の協力をあおぎ、中国国内で母型用の種字を彫らせたものであるが、残念ながらこの活字を使った印刷物を見る機会にまだ恵まれていない。

二十五年前の文章なので、もうすでに小宮山氏は現物をご覧になったと思われるが、今なら簡単にインターネット上で閲覧できるのである(画像は不充分ながら)。

by sumus2013 | 2017-09-04 21:22 | 古書日録 | Comments(0)
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