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刑法第73条下鴨納涼古本まつりの帰途、素通りできずに立ち寄った某書店にて入手。手に取ったときには「誰だろう?」と思った。ただこの出で立ちはただものではない。帰宅して画像検索してみると、この写真と同じ画像は見つからなかったが、案の定、ただものではなく、嘉仁親王のようであった。要するに大正天皇の幼少時代である。明治十二年生れだから、この顔立ちからして明治二十年頃に撮影されたものか? 大正天皇と言えば漢詩に熱心だったという印象がある。実際、歴代天皇のなかで嵯峨天皇を凌いで最も多くの漢詩を残しているという。『大正天皇漢詩集』(大修館書店、二〇一四年)も刊行されている。一例、「春夜聞雨」。 春城瀟瀟雨 半夜獨自聞 料得花多發 明日晴色分 農夫応尤喜 夢入南畝雲 麦緑菜黄上 蝴蝶随風粉 古河力作の獄中手記「余と本陰謀との関係」の一部が『古河力作の生涯』に引用されているが、力作の本音が出ていて興味深い。 《今度の様なアヤフヤな事が、それに自分もやる積りもなかった事だから、不敬位で済〈む〉だらうと思つて、それで予審庭〈廷〉でも偉らさうな事も言つた。所が豈図らんやだ。僕は死刑の宣告を聞いた時には、余り滑稽でポカンとして呆気にとられて居た。死刑と知つて居たら無論初めから皆言つて仕舞つたのだ。今更何を云つたとて仕方がないが、余んまり馬鹿々々しいので、つい愚痴も出る。》(十四章) また第三回予審の調べ(明治四十三年六月八日)での判事と力作の問答が引用されているので、それも少しだけ引いておく。 《問 被告ハ法律書ヲ読ミタル事アルカ 答 アリマセヌ 問 天皇ニ爆裂弾ヲ投スル所為ハ如何ナル刑罰ニ当ルカ知リ居ルカ 答 昨年頃刑法注釈書(縁日テ刑法注釈書トカ何トカ云フノヲ買ツテ見マシタ)ニ天皇ニ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタルモノハ死刑ニ処ストアリマシタカラ無論死刑ニ当ルト云フ事ハ承知シテ居リマス》(十二章) ここで言う刑法とは大日本帝国憲法制定後の明治四十年四月に帝国議会において裁可され明治四十一年十月一日に施行されたものを指す。刑法第二編 罪/第一章 皇室ニ対スル罪。『改正日本六法 袖珍軽便』(文明堂、明治四十年五月)より。 旧刑法では第百十六条(明治十五年施行)に《天皇三后皇太子》とあった。四十年の改正でその表現と対象範囲(皇太孫を加えた)を変えたのである。力作が不敬位と書いているのは第七十四条を指す。《三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス》と《死刑に處ス》ではあまりにも大きな違いであろう。また「皇室ニ対スル罪」は総則の法例第二条で《本法ハ何人ヲ問ハス帝国外ニ於テ左ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者ニ之ヲ適用ス》の第一に挙げられている。国外においても適用されるとは意外だが、国際的なテロリズムということをすでに視野に入れていたのだろう。第七十三条の適用は四例ある。幸徳事件(すなわち力作の巻き添えになった本件)、虎ノ門事件、朴烈事件、桜田門事件(李奉昌大逆事件)。昭和天皇は皇太子時代も含め二度狙われたことになる(そのためか戦前にはその姿を国民の前に現さなかった、玉音放送まではほとんどの国民は声すら聞いたことがなかった)。 読むこともないだろうとは思ったが買っておいた『改正日本六法 袖珍軽便』を改めてめくってみるといろいろと面白い発見がある。例えば、あまりに周知の事かも知れないが、大日本帝国憲法(明治二十二年発布)の第一章は天皇の定義から始まっている。ということは、当時、天皇の地位がいかに不安定であったかということを明らかに示しているとも考えられよう。 企てただけで死刑という法律、ひょっとして似たような法律をわれわれも許容してしまったのではないか、あらためて事の重大さを感じるしだい。
by sumus2013
| 2017-08-15 21:35
| 古書日録
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