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古河力作の生涯2『月の輪書林古書目録9 特集 古河三樹松散歩』(月の輪書林、一九九二年六月)。二十五年前の発行とは! 表紙写真に写っているのは向って左前列から岡本潤、古河三樹松、百瀬晋、宮山栄之助、飯田徳太郎、植村諦(巻末の解説によればこれでいいはずだが)。後列左から岡本潤の恋人H・G、もう一人の女性(ともに芝浦の単式印刷のタイピスト)、学生服の人物は不明のようだ。平凡社の『大百科事典』刊行時のある日ということで昭和七、八年頃。 目録巻頭に小柄だったことについての三樹松氏の回想が引用されている。『素面』(昭和三十七年)に掲載された「小男の得」。 《私の家系は若狭の旧家に有り勝ち従兄妹同志の血族結婚が、五代も六代も続いた結果が矮人になった由で、私の兄も妹も同様に小さかった。十才で上京する時には汽車賃は勿論ロハ。五才位に見える樣に仕立てられたのに、途中の駅名を読んだりするので連れの大人が閉口したといふ。十三、四才でも友達に背負はれて映画館はロハ、十五、六才まで女湯に入っても怪しまれなかった。》 《大正大震災で都落ちー大阪の仲間を訪ねると、表は刑事が張り込んでゐて、東京から逃げて来た主義者は片ぱしから検挙する方針だったのに、廿三才の私を子供だと思って見逃してしまった。国事犯?で牢屋入りした時には掛けられた手錠がスッポリと抜けて看守を弱らせたし、他の囚人は蒲団や着衣が短いので素足が出て寒中でふるへてゐる時でも、私の手足は充分に包まれてゐて助かった。》 たしかに小柄だったことは間違いないようだ。ただそれが思想的にどれほど影響したのか、そう簡単に結論付けられることでもあるまい。 水上勉は『古河力作の生涯』で力作が監獄で精読した聖書について書いている。力作の雇い主であった滝野川康楽園の主人印東熊児(園芸家でクリスチャン)が獄中の読書にと差し入れたタバコ箱大くらいの豆聖書である。 《いま、その聖書が、私の手許にある。黒色の皮表紙のカバーがついている。New Tastament & Psalms と金の押し判があり、背には「新約全書 詩篇付」と同じく金文字が押してある。見返しに、黒字で、 『基督は禁欲主義に非ず。自然に従ふ充欲主義なり。 基督は無抵抗主義に非ず。強烈な抵抗主義なり。恰も空気の如し。 基督は無神無霊魂論者なり。 基督は熱烈火の如き革命家なり。 噫偉大なる哉。基督、彼は労働者なり。 基督をして現時に在らしめれば必ず無政府共産主義者(以下不明)』 とかなりな太字で書かれている。力作が獄中で誌したことはあきらかである。「米国聖書会社」発行の扉裏には「古河」の丸判が捺されている。》(十五章) この描写からは特定できないが、『新約全書 詩篇付』というのは米国長老教会派遣の宣教師ヘンリー・ルーミス(明治五年初来日、十四年再来日、大正九年軽井沢で死去)が刊行した明治三十七年版(初版、四六判)を縮刷にしたものだったのだろうか? 水上勉は力作による線引きや欄外の書き入れが多数あることに触れながら、心に残る一章節として路加伝第十九章「ザアカイの章」をわざわざ取り上げている。 《イエス、エリコに入てすぎゆくとき、ザアカイと云へる人あり。みつぎとりの長にて富める人なり。イエスは如何なる人なるか見んとおもへども、身の丈ひくければ、大衆[おほぜい]なるによりて見ることを得ず。彼を見んとてはしりゆき桑の樹にのぼれり。》(水上の引用しているまま) やはりここでも身の丈の低いというところだけに反応しているのだ。しかも、力作は水上の引用箇所には何の印も施さず、この章の終部、『既に近づけるとき城中を見て』から数行にわたって傍線をひき、欄外に細かい感想を述べていると書かれている。ところが水上はそこは無視してこういうふうに締めくくる。 《力作がこの章に眼をとめた心奥に、おのれをザアカイに重ねてみた一瞬がなかったであろうか。》 要するに背が低いというところに自分を重ねたからこの章に注目したと言いたいわけである。ただし、水上があえて(?)触れなかったルカ伝第十九章の終部には以下のような記述がある。イエスがオリーブ山で弟子たちに垂訓した後、エルサレムへ入城するくだりである。四十一節以下(引用は架蔵の『新旧約聖書』米国聖書協会、大正三年) 《既に近づきたるとき、都を見やり、之がために泣きて言ひ給ふ。『ああ汝、なんぢも若しこの日の間[うち]に平和にかかはる事を知りたらんにはーー然れど今なんぢの目に隠れたり。日きたりて敵なんぢの周囲[まはり]に塁をきづき、汝を取り囲みて四方より攻め、汝と、その内にある子らとを地に打ち倒し、一つの石をも石の上に遺さざるべし。なんぢ眷顧[かへりみ]の時を知らざりしに因る』》 と宣言し、イエスは城中に入り寺院で商売をする商人たちを追い払う。革命のスタートである! 眷顧とあるところ英訳では「visitation」すなわち「(神などの慰め・助け、または苦痛・罰をもっての)訪問;天恵、恩ちょう、祝福(divine favour);天の配剤、天の怒り(divine dispensation, divine wrath);天罰のような事件[経験]、災やく、禍(calamity)」(『新英和大辞典』研究社辞書部、一九六〇年第四版)であって厳しい迫害が待っているぞと予言していることになろう。 力作がこの部分に線引きをし、感想を記すのは当然だ。あまりにも力作たちの置かれた情況にびったりあてはまるではないか。もし自分を重ねたとしたらザアカイではなく、イエスの弟子またはイエスその人ではないだろうか。
by sumus2013
| 2017-08-12 21:29
| 古書日録
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