林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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古河力作の生涯

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水上勉『古河力作の生涯』(文春文庫、一九七八年一月五日)読了。雑誌『太陽』に連載された後、平凡社から一九七三年に単行本として刊行されている。大逆事件については大雑把な理解しかなかったのだが、今更ながら本書を読んでその全体像がかなりはっきり判ったような気がする。ただ、水上勉の書き方(事件に関する出来事などについての解釈の仕方)には賛同できない部分も多く、とくに古河力作の身長が小さかったことをことあるごとに強調しているのは気に入らない。小柄だということは、もちろん人生を決める上で非常に重要なファクターであろう。しかし何でもかんでも小柄のせいにするというのはいかがなものか。

慈母の許で、力作は不自由なく育った。ただ、一つだけかなしみはあった。友達はみな背丈がのびてゆくのに、自分だけはのびない。かなしみは根を張った。次第に、友達づきあいもしなくなった。山や川や草木と話しあう子供になってゆくのである。足もとにころがっているようなありふれたことにも、ほかの子とちがった、奥深い考えをめぐらせる子に育ったのは当然である。環境がそうさせてゆく部分もあるが、力作自身が芽ぶかせた感受性の成長である。》(二章)

あまりにも恣意的なロマンチックな描写である。だいたいその背丈が何尺何寸だったのか、本書には記されていない(と思うのだが?)。それは一四〇センチ足らずとも言われているものの、ただし明治初期の日本人男性の平均身長は一五五センチ、女性は一四五センチだった。大正にかけて一〇センチほど増えていくことになるが、明治十七年(六月十四日)生れの力作である、一四〇センチだったから性格が歪むほど飛び抜けて小さかったとも言えないだろう。

力作が雲城校(雲浜小学校)高等科を卒業したのは明治三十二年三月。その卒業写真を描写しているくだりはこうである。

校舎前に椅子を積んで四段にならんだ生徒は二十一名、うち女子二名。九名の教師が前列に腕を組んだり、膝上にこぶしをつくったりして、ならんでいる。力作は左手二列目の二人目にいる。小躯なのですぐわかる。どの生徒も高等科卒業故に、十六歳の年恰好を示して、肩を張っているが、力作だけは小さく、ひきしまった顔で、みなのうしろに立っている。この顔は誰よりも童顔、丸顔である。立縞の袷に共生地の羽織、胸に高く、紐をむすんでいる。つまり、この日に、力作は、一寸法師、小人と渾名された屈辱の学窓八年の生活から解放された。三樹松氏の記憶だと優秀な成績だったというから、おそらく賞状を貰っての卒業だったと思われるが、》(四章)

これも不思議な描写である。生徒二十一人が四段に並ぶと一列五人か六人、前に先生が九人並ぶという構図はおかしくないか? 生徒が三段(一段七人)先生が前列と考えた方がいいのかもしれない。すぐわかる小躯なのに《みなのうしろに立っている》というのはどういうわけだろう? 写真を見れば一目瞭然なのだが。《十六歳の年恰好を示して》としてあるところ、明治十七年生れなら力作はまだ満十五歳になっていない。

それからこれは弟の古河三樹松が抗議していることだが、事件後判決が下りて後、幼い弟(十五歳下)の三樹松と妹のつなが特別の計らいで市ヶ谷の東京監獄において面会の機会が与えられたとき、力作の背が低くて弟と妹には兄の顔が見えなかった、と水上が書いているのは大嘘である。

と建物と建物のあいだに腰板を張っただけの屋根ふき廊下があり、その廊下を動く編笠がみえた。さあ、兄さんを早くみなさい、と看守は指さした。三樹松とつなは、背のびしてみようとするが、兄の姿はみえず、ただ、編笠が、腰板の上をうごくだけで、やがて、それは建物に吸われてみなくなった。(十四章)

三樹松氏はこう記憶している。

そこから三メートルほど奥に、横に板敷の廊下が走っているのが見えました。
 そこに、左手の方から前後を看守に警護された力作が腰なわ付で姿を見せ、編笠をあげるようにしてこちらに顔を向けながら通り、私たち弟妹の姿を見返りつつ、無言で右手の方へ歩き去ったのです。
 私たちも、はっきりと兄の顔を見ました。》(『大逆事件ニュース』二七号、大逆事件の真実をあきらかにする会、一九八八年一月二三日)

三樹松氏はこの通りのことを水上勉に話したと言っている。まさに芝居の演出、捏造だ。この一事だけをしても『古河力作の生涯』を鵜呑みにする危険が強く感じられるのである。あるいは「伝」でなく、あくまでフィクションとして読んでおく方が無難だとも思えるのである。


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by sumus2013 | 2017-08-10 20:59 | 古書日録 | Comments(0)
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