林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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fashion MACHINE

f0307792_20403582.jpg

fashion(fash'un)3 MACHINE
発行 1980年8月1日
訳者 豊田菜穂子 勝本哲也 リン・ジェコブセン 堀野加寿子
写像 中野泰伸
編集 阿木譲 嘉ノ海幹彦
ブック・デザイン 阿木譲
写植 恭誠社
製版 山口製版所
印刷 山幸印刷
製本 大同紙工
発行者 阿木譲
発行 ロックマガジン社
〒五五〇 大阪市西区新町一-六-八 ソラル清賀五〇二
〒一五〇 東京都渋谷区千駄ヶ谷四-十三-二


大阪の出版社ロックマガジン社が刊行した隔月刊の雑誌『ファッション』第三号「マシーン」。発行者である阿木譲についてはウィキが詳しいのでその一部を引用しておく。

1971年、一年近くサンフランシスコに住み、写真家の福田という人物に連れられコミューン「モーニングスター(Morningstar)」に出入りする。
 その後ファッションブランド「I Am A Boy」を立ち上げ、高島屋デパートで企画を担当していたが、もう一度音楽の仕事に戻りたいと考えていた1974年に、KBSラジオのディレクター奥田靖彦と出会い、1975年4月2日から1978年3月までラジオ番組「ファズ・ボックス・イン」でDJをつとめる[6]。
 同番組で雑誌編集を企画し若者に呼びかけ、集まってきた三田村善衛、渡辺仁らと共に、1976年2月、阿木を編集長に『ロック・マガジン』を創刊。この雑誌のディスクレビューでテクノポップという言葉を初めて使用したことがよく知られている(1978年、クラフトワーク「THE MAN MACHINE」の評において)。
1978年に、日本初のインディーズ・レーベル「ヴァニティ・レコード」を設立。関西のバンド「DADA」、「EP-4」らのアルバムをリリースする。

同社は『ロック・マガジン』を皮切りに以下のような雑誌を発行していたもようである。

『ロック・マガジン』1976年〜1984年、1988年(復刊)
『fashion』1980年
『EGO』1985年〜1987年
『infra』1999年〜2001年
『BIT』2002年

『fashion(fash'un)』第三号には奥付の前に既刊広告がある。それによれば第一号(一九八〇年四月)は「1960'」、第二号(一九八〇年六月)が「Plastic」特集だったことが分る。断言はしないが、この三冊で終刊したのかもしれない。

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「マシーン」特集の内容はニューヨーク近代美術館で一九六八年に開催された展覧会図録「The Machine」を翻訳したもの。この展覧会は非常に重要なものだったと評価されているらしい。ざっと見てもなかなか刺激的な内容である。一九八〇年の時点でも、ここに掲載されている作品は日本ではまだ実物を見ることができなかった(あるいはそれまで展示されたことがなかった)ようなものが多いように思う。無論、今の目で見ると(五十年を経過しているので)かなり事情は変ってはいるが、機械主義という捉え方そのものがある意味アナクロニズム的な面白さがある。

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序説のなかでちょっと気になったところ。

科学と産業革命が人間の社会及び政治上にもたらした驚異的変化は、文学の中では頻繁に扱われたが美術にはそっぽを向かれていた。その種のテーマを何らかの形で描いた数少ない絵画でも、説明的なものとか、ただ話のタネで終るようなものが殆んどだったのである。

これは大きな勘違い。印象派は機械時代の申し子である(チューブ入絵具の発明などによる)。モネの「印象、日の出」の背景を見てご覧なさい。煙突がずらりと並んで煙を吐いている、すなわち沿岸工場地帯が描かれているのだ。また新印象主義の点描(スーラら)は科学(光学)の応用だし、写真の登場とその使用が十九世紀絵画に与えた影響は計り知れない、すべて機械主義の産物である。

オリジナルのカタログは下記のようなもの。

The machine as seen at the end of the mechanical age,
K. G. Pontus Hultén, Ausst. Kat. Museum of Modern Art, New York, 1968

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by sumus2013 | 2017-08-05 21:40 | 関西の出版社 | Comments(0)
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