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旅する巨人佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋、一九九七年二月一五日二刷、装丁=坂田政則)読了。平安神宮の東側にあるブックスヘリング、やっと店頭の均一台にいい本を出し始めた。一冊三百円(二冊なら五百円)という感じ。その気になればできるじゃない、と喜んで二冊ほど買ったうちの一冊がこれ。佐野氏には『spin05』で海文堂書店でのトークを掲載させていただいたこともある(その日の二次会をご一緒しました)。このトークのなかでも宮本常一の発見について語っておられる。 spin05 「宮本常一と渋沢敬三」とあるように本書は宮本にとっては恩人(パトロン)であった渋沢敬三の事蹟についても十二分に触れられており、渋沢栄一の孫として生まれたプレッシャーのなか敬三が大きな人物へと成長する過程にも読み応えがある。宮本が活字になった初めての本『周防大島を中心としたる海の生活誌』(アチック・ミューゼアム彙報、一九三六年三月)を出してから二人の行き来は頻繁になったという。そのとき渋沢は宮本にこう語った。宮本二十九、渋沢は四十だった。 《「大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけていくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ」 渋沢の言葉は宮本の心に強くしみとおった。》(第三章 渋沢家の方へ) またこうも諭したという。 《日本の文化をつくりあげていったのは農民や漁民たちだ。その生活をつぶさに掘り起こしていかなければならない。多くの人が関心をもっているものを追求することも大切だが、人の見おとした世界や事象を見ていくことはもっと大切なことだ。それをやるには、君のような百姓の子が最もふさわしいし、意味のあることだと思う》(第七章 父の童謡) これだけでも渋沢敬三がどういう人間だったか分ろうというもの。宮本の本質を見抜いてその道を示した、だけではなく、長年にわたって宮本を経済的にも援助し続けた(むろん宮本だけではなく様々な分野でパトロンとなっていたようだ)。 渋沢敬三は昭和十九年三月に第十六代日銀総裁に就任した。東条英機にサーベルで脅されて引き受けたとも書かれている。しかしこの時期すでに日銀総裁は何もできないポストになっていた。吉野俊彦『歴代日本銀行総裁論』ではこう批判されているという。 《昭和二十年八月の終戦にいたるまで、従前どおり赤字国債を無制限に引きうけただけでなく、軍需融資のため必要とされた資金であって民間で調達しきれない分をこれまた無制限に日本銀行貸出の増加という形で供給しつづけたのである〉》(第九章 悲劇の総裁) むろん政府や軍部の責任であって敬三個人ではどうしようもなかったことである(それにしても赤字国債を無制限に引き受けるというのは、いまの日銀もやっていることなんじゃないのかな?)。敬三は後年この記事を読んで実に悲し気な表情を浮かべこうつぶやいた。 《僕はたしかにたいへんな罪をおかした。批判されるのは当然だ。だけど僕は日銀時代、一つだけいいことをしたつもりだ。日本を含めた東洋の貨幣のコレクションを日銀が買ったことだ。あれは将来、たいへんな日本の文化財になる。》(同前) 田中啓文の銭幣館コレクションを譲り受けたことを指す。買ったとあるが、寄贈されたようである。現在これは貨幣博物館に所蔵されている。 銭幣館コレクションと貨幣博物館の設立 コレクションを受入れただけではなく渋沢の意向で銭幣館で研究していた専門家・郡司勇夫もいっしょに雇ったという。占領下では郡司の交渉によって進駐軍による金銀貨の接収を免れた。さすが民俗学の大パトロンだっただけのことはある。コレクションとともにそれを守る「人」が大事だということを分っている。
by sumus2013
| 2017-08-02 21:01
| 古書日録
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Comments(2)
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