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日常学事始・人生散歩術荻原魚雷『日常学事始』(本の雑誌社、二〇一七年七月一四日、カバーイラスト=山川直人、デザイン=戸塚泰雄)そして岡崎武志『人生散歩術』(芸術新聞社、二〇一七年七月二五日、デザイン=美柑和俊+中田薫)を読了。 二冊はなんだかよく似ている。まず、見た目。どちらも漢字五文字のタイトルである(ちなみにどちらの版元も五文字で神田にある)。どちらも並装でカバー・帯が二色刷りである。マットな上質紙を使っている(光沢紙ではなくコーティングもない)。どちらもカバーに人物イラストがある(表紙にもイラストがある)。装幀や装丁ではなくデザインという言葉を使っているのも共通だ。 そしてコンセプトも似ている、というか同じだな、これは。 《お金はないけど、無理せずのんびり生きていく》 《こんなガンバラナイ生き方もある》 そして、そして、何より、どちらもWEB上で連載された文章をまとめたものなのである。 ということで刊行日の早い魚雷本から紹介するが、これは間違いなく魚雷本のなかのベストじゃないか。編集者の宮里潤氏が「洗濯ネットみたいな話を書いてみませんか」と提案したことがそもそもの発端だという。宮里氏、さすがだ。これまでの魚雷本はほとんどが本と自分の関係について書かれている。それはそれでユニークな視点を持っているが、本書はリアルな実生活がテーマであり、日々さまざまな生きるという難問をくぐりぬけていく、その魚雷哲学とも言うべきその方法論が展開されていて感心させられることしばしば。 ミコーバー派とか割り勘の不条理話も印象に残るが、やっぱり本の話。「「捨てたい病」の研究」。むしょうに物を捨てたい衝動にかられるときがある。誰しも、あるはず。 《わたしは古本好きの仲間うちからは、キレイ好きだといわれる。しかし、からだを横向きにしないと部屋を行き来できないような住居に暮らす人たちに褒められても嬉しくない。古本関係以外の知人が、家に遊びにくると、「倉庫みたいだね」と笑われる。 片づけても片づけても本と紙の資料が減らない。二、三百冊ほど本を売っても、これっぽちもビフォーアフター感を味わえない。》 《床に積まれた本を手にとり、「もし必要なら、本棚にいれる。それが無理なら売る」と自分にいいきかせる。すると、今、本棚にある本をどれか一冊抜かないといけない。それで迷う。いつまで経っても片づかない。》 そうそう、整理ということではこの難関が待っている。 《今はなるべく考えないようにしているが、親が暮している乱雑きわまりない田舎の家のことをおもうと気が滅入る。帰省するたびに、「誰が片づけるとおもってんだよ」と文句をいいたくなるのだが、当然、その言葉は今の自分の住まいにも跳ね返ってくる。》 みんな通る道だよ……。次に書く本は決まったな、親との付き合い方(魚雷版『シズコさん』!)、これ絶対面白い本になるはずだ。期待してます。 岡崎本はあこがれのアイドルたちの伝記である。井伏鱒二、高田渡、吉田健一、木山捷平、田村隆一、古今亭志ん生、そして書き下ろしの佐野洋子。シブイ渋いアイドルたち。 《いずれも、なるべく肩の力を抜いて、風にそよぐままに生きた人たちのように思う。私は、彼らの著作や仕事から多くのことを学んだ。その意味で、井伏鱒二の小説も。高田渡の歌も、田村隆一の詩集も、私にとっては、人生の「実用書」なのである。》(あとがき) 肩の力を抜いてというのは読んでいても感じられる。次のようなくだりは漱石かと思うような名文。 《人間なんて、ずいぶん窮屈な動物だと思うことがある。国籍や人種、あるいは身分に縛られ、法律に規制され、お金がなくては生きていけない。服も着なくちゃいけないし、視力が弱るとメガネも必要だ。歯医者にも通ったりして。しかも、長生きだと百歳近くまで生きなければいけない。一説によるとほかの動物なら、犬ネコで十四〜十五歳、ゴリラが三十五歳、キツネが七歳、ハムスターなら三歳、だという。これだけめまぐるしくいろいろなことをこなした上での、人間の百歳は長過ぎる気がする。 しかし、ときに古今亭志ん生みたいな人が現れて、その窮屈な部分を打ち破ってくれる。いろいろ頭でっかちになって考え過ぎて、自分で作る壁を、最初から作らないというのか、生きる「幅」みたいなものを広げてくれる人だと思うのだ。》(古今亭志ん生) 古今亭志ん生は高座で居眠りをしたそうだ。 《起こそうとする客に、別の客が「寝かせといてやれ」と声をかけた。喋らないで、寝ている姿だけで客は楽しみ、満足したのだ。》(同前) 眠るといえば高田渡。同じくライブ中に酔っぱらって眠ってしまったことは伝説となっている。ところが本当に岡崎氏がインタビューしている目の前で高田渡は眠ったのだ! 《その伝説を目撃できた。かなり酒が進み、言葉が途切れて沈黙したかと思うと、身体が傾き、やがて小さないびきが聞こえ始めたのだ。ライター生活、この時十数年目で、何百と取材をこなしてきたが、取材対象が眠ったのは初めて。しかし、うれしかったなあ。》(高田渡) ……すごい、というのかほんとにガンバラナイで生きているのかもしれない。あるいは単なる飲んべえなのかも。飲んべえと言えば、岡崎氏が取り上げている男たちは全員大酒飲みだ。岡崎氏自身も酒を休む日はないという暮らしのようである。また魚雷氏もよく飲んでいるようだ。なんだかんだ理屈をつけてみても、結局、酒こそが、とりあえず、ひととき「のんびり生きる」ための魔法なのではないか。 魚雷本の「あとがき」にこうある。 《生活を疎かにすると、気持ちが荒む。かといって、過度にストイックな暮らしは長続きしない。のんびり寛げる環境を作るのは簡単なことではない。 無理のない快適な生活ーーそれこそが「日常学」の目標だとおもっている。》 二冊は似ていると書いたが、岡崎本は日常を逸脱した酒豪伝だ。その意味では対極にある内容とも思えるのである。
by sumus2013
| 2017-07-30 21:17
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Comments(2)
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