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林哲夫の文画な日々2
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詩草

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菊池蘭蔵藁『詩草 岐山木蘇先生批』。久し振りの漢詩集、というか詩稿を入手した(三月の三宅三郎(半聾)『片仮名付百人一詩次韻集』以来

木蘇岐山は大正五年歿、美濃の人。名は牧、字は自牧、別号に三壺軒主人、五千巻堂主人。晩年には大阪毎日新聞の詩欄を担当した。

菊池蘭蔵については『ふるさとの人物』(珠洲市、一九六八年)に略伝が出ている。ほぼ独学の人のようだが、なかなか面白い生涯を送ったようである。

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菊池蘭蔵は日清戦争に従軍したそうだから、上の「攻撃平壌之夜」「題裘」から「従王師於冰雪中墮武敏」「二月四日」「招魂」と続く諸篇はその時期に作られたのか。伝によれば戦地から郷里に送った詩稿を

木曾岐山(漢詩をよくした画家)に見せたところ、支那の大家の物したものだろうといってきかなかったという。

とあるが、もしこのノートの朱が岐山によるものと考えるなら、はたくさん付いているものの添削も甚だしいので、そこまで礼賛したものかどうか。

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「回文」と題された作があり《円転滑脱、如珠走盤、是為回文正躰/丁酉夏七月初二》と達筆の朱が入っている。丁酉は明治三十年。とすれば日清戦争(明治二十七、二十八)から三十年までの間に作られたノートということになるのであろう。

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「名 鼎」と「字 子〓[タン;髪のたれさがるさま]」と題された七言絶句。自分自身の幼少を歌ったと思われる。とすれば《壬戌予生海隅》の「壬戌」は文久二年(一八六二)である。明治三十年には三十五歳ということになる。伝には六十で歿したとあるので歿年は一九二二年(数えなら一九二一年か)。

by sumus2013 | 2017-07-29 20:16 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by 中嶋康博 at 2017-07-31 17:13 x
不遇なりに、すべきことを自ら定めて、成し遂げて、しかも報われなかった、かういふ人を隠れた人と呼んでよいものか判りませんが、小説の主人公にもなりさうな、実に数奇な人生を送られた人のやうですね。
Commented by sumus2013 at 2017-07-31 19:39
まさにおっしゃる通りと思います。こういう無名の異才に注目して欲しいものです。
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