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林哲夫の文画な日々2
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骨相学提要

骨相学提要_f0307792_21014391.jpg

大平泰観『骨相学提要 四十二部位論』(民聲評論社、一九五三年六月一五日)。著者大平泰観と民聲評論社の住所は同じ。京都市伏見区西鍵屋町。大平泰観についてはほとんど何も分らない。本書には肩書きとして「日本易学会最高顧問」としてあり、はしがきには『人相学論』『人相部位論』『形貌学理論』『手相学論』を著したと言う。ただし国会図書館には所蔵されていない。

骨相学提要_f0307792_21013830.jpg
大平泰観(口絵写真)


幸に私が学生時代より不知不識の間に斯学の研究に没頭してから約三十有余年である、此間に研究と体験とによつて得た、統計上より動すことの出来ないものと、殊に留学中特筆した点を加へて、至極判り易く骨相の部位を図解に示し骨相学提要と題し茲に執筆した次第である》(はしがき)

分からないと書いたものの、写真もあり住所も著書も学歴らしきものも知られるわけだから、かなり情報は豊富だとも言える。

骨相学提要_f0307792_21014147.jpg

はしがきに続く「骨相学の沿革」を少し引用しておこう。

骨相学の発見者は当時世界に有名な墺国の解剖学の権威者医学博士ジョセラガルと云ふ人である此のガル博士は一七五七年三月九日南独逸の片田舎に生れ大学を出て墺国の皇室の侍医となり後には開業医となつてガル博士がかつて学童たりし頃より其の学友の露大なる眼球と記憶力との関係より人の心性と頭脳との関係に疑問を喚起し、其聡明と精力とを傾注

ジョセラガルはジョセフ・ガル Franz Joseph Gall(1758–1828)。

ガル博士が仏国の巴里に於て骨相学の研究所を設け次から次と新しい発見説を発表中不幸にしてガル博士は一八二八年八月二十二日(我国の文政十一年)七十二歳を一期として死亡した故に骨相学はガル博士を以て開祖とし第一世とする第二世は一八〇〇年頃よりガル博士の説に賛成し亦師事して共に研究したスブルツハイムと云ふ有名な解剖学博士であるス博士が英国に渡つて一八一五年始めてエジンバラ大学で斯学の講演をしたとき各学者より大喝采を博し其の賛同を得て同大学では此のフレノロジーを一科目として特設した

スブルツハイム(Johann Gaspar Spurzheim, 1776-1832)はガルの協力者であったが、途中で仲違いし一八一二年には独自の研究に始めた。またヨーロッパ各地を旅してフレノロジーの普及に貢献した。米国へ初めて渡った一八三二年にボストンで客死。検死解剖の後、その脳、頭蓋骨、心臓は取り出されてアルコール漬けにされ、聖遺物のように一般公開されたという(From Wikipedia)

そういえば、以前こんな雑誌も取り上げていた。

『性相』第四十三号

by sumus2013 | 2017-05-20 21:51 | 関西の出版社 | Comments(0)
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