林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ウィンスロップ・コレクション

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『ウィンスロップ・コレクション フォッグ美術館所蔵19世紀イギリス・フランス絵画』展図録(国立西洋美術館、二〇〇二年)を取り出す。先日のビアズレー体験から思い出した。たしかビアズレーのコレクションがこのなかに含まれていたはずと思ったら、まさに正解。ビアズリーはワイルドの『サロメ』のために十九点の素描を制作したそうで、そのなかの十四点が一八九四年の英語版に収録された。フォッグ美術館にはそのうちの十点が収蔵されており、この展覧会には全十点が出品された(ビアズリーの素描は計三十三点所蔵とのこと)。来歴を見ると、版元のジョン・レーンから画商のスコット・アンド・フォウルズを通してウィンスロップは一九二七年にそれらを購入している(フォッグに寄贈されたのは一九四三年)。かなり早い時期である。

アメリカでは20世紀最初の数十年間に美術品収集への関心がかなり高まっていたにもかかわらず、素描を収集するとなるとウィンスロップが収集を始めた当初は、まだ試みるものも少なく、その価値は認められていなかった。》《一方ウィンスロップと彼より少し後から収集を始めたフォッグ美術館のポール・サックスは、紙の作品の意義を認めて、コレクション形成に努めたという点においてパイオニアであった。》(ウォロホジアン「美を求める眼」より)

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本書に掲載されているステファン・ウォロホジアンによるウィンスロップの伝記「美を求める眼:グレンヴィル・ウィンスロップとそのコーロッパ美術コレクション」がなかなかに興味深い。めぼしい記述だけ拾って紹介しておきたい。

グレンヴィル・ウィンスロップは一八六四年に《特権階級の家に2番目の子供として生まれた》。父ロバート・ウィンスロップは銀行家、母はニューヨークで最も裕福な財界人でシティ・バンクの社長でもあったモーゼス・テイラーの娘ケイト。一八八二年にケイトはモーゼスの莫大な遺産の五分の一を相続したという。

ウィンスロップは家族のほとんどがそうであったようにハーヴァードへ進学。ハーヴァードで最初の美術の教授チャールズ・エリオット・ノートン(1827-1908)の講義にウィンスロップはこの上ない喜びを見出したという。《ラスキンがそうであったように、ノートンは美術研究を美の本質に向う深遠な探求として理解していた》。

「美は善よりもすぐれている。なぜならばそれは善を含んでいるからである」

こんなノートン言葉(ノートニズム:ノートン主義)がウィンスロップのノートにはビッシリ書き込まれている。ハーヴァードで最後の学期にヴェネチア美術のクラスでバーナード・ベレンソンと出会う。

一八九二年、ウィンスロップは結婚し、法律事務所を設立するも失敗に終り、一八九六年には引退してしまう。三十二歳。ところが結婚生活もうまく行かず、一九〇〇年に妻は自殺。二人の娘が残された。ウィンスロップは彼女たちを厳しく育てた(後に二人して父の家から駆け落ち逃亡)。この頃から美術の世界へ目を向け始める。

孤独な生活を続けているなかでバーナード・ベレンソンと再会、ベレンソンの指導を受けながらウィンスロップはイタリア・ルネサンス美術の収集を始める(ベレンソンから約十二点の絵画を購入)。そのかたわらアジア美術の収集にも乗り出す。《現在でも、古代中国の玉[ぎょく]と青銅器においては、ほかのどのコレクターのコレクションもこれに匹敵するものはない。

一九〇二年、マサチューセッツ州に大きな屋敷を購入。ノートンの姉の息子で近所に住んでいたフランシス・ブラードと親しくなる。彼の影響でターナーに興味を持ち、ターナーの版画を四〇〇点以上集めた。ブラードは《版画の収集において、版の質にこだわった最初のアメリカ人コレクター》と称されている。ブラードによりウィンスロップはイギリスの美術運動に関心を向けるようになりウォルター・ペイターの著作に親しんだ。ウィンスロップが美術について最も頻繁に引用している言葉はペイターの「すべての美術はつねに音楽の状態をめざす」(『ルネサンス史研究』の「ジョルジョーネ派」より)だった。ブラードは一九一三年に若くして歿した。

一九一四年、マーティン・バーンバウムと出会った。当時彼はベルリン・フォトグラフィック・カンパニーの社長をしていた。写真集や美術本を出版する会社である。その後アーティストたちとの交流を利用して作品を借り出して展覧会を企画するようになり、また上述の画商スコット・アンド・フォウルズと組んで仕事をした。その時期にウィンスロップと知り合ったようである。二人は急速に親しくなり、バーンバウムはヨーロッパでの美術品購入を一任される。

バーンバウムは彼が見つけた美術品に関する批評を添えた、膨大な数の手紙を送り、さらに作品を重要度や価格によってランク付けした詳しいリストを提示した。ウィンスロップの方はというと、番号や略号によって購入の意志を伝えるだけだった。「それを買いなさい」という文字は、ウィンスロップがロダンの見事なマリアナ・ラッセルのブロンズ像を取得するのに、唯一必要となったやりとりである。

「それを買いなさい」は「Buy one」である(掲載図版による)。バーンバウムはオークションや格式のある画廊から買うことはほとんどなかった。これと目当てを付けると《作品を得るためには、あらゆる戦術を試した》。複製と交換するなどという荒技もやったらしい。

バーンバウムが美術品を入手するときに最も成功した方法のひとつは、手放したがらない相続人やコレクターに対して、彼らの宝物は将来的に転売されることなく美術館に寄贈されるのだと保証することであった。この方法は、とくに芸術家の直接の相続人たちに効果があった。

二人は主要な何人かの作家の作品で大きなまとまりを作るという方法を取った。アングルやモロー、ラファエル前派、ウィリアム・ブレイク、そしてビアズリーなどの作品群である。

1927年、彼はイースト81丁目15番地に自分のコレクションのための新しい家を建設した。そこには彼自身の寝室と、彼の兄弟のための客間があった。この家を訪れた人は、部屋から部屋へとマニアックに並べられた美術品の数々と出会い、それはまるで象徴主義者が見る夢のようであった。

これらの空間はウィンスロップの私的な世界であり、そこにある美術品は彼の情熱のあらわれであった。ウィンスロップは細心の注意と配慮をはらい、ひとつひとつの美術品を飽くことなくつねに完璧な手書き文字で筆記し、目録化した。その目録はファイル・カード15冊にものぼり、それぞれの美術品の価格は日記に記録された。

最終的にそのコレクションはハーヴァード大学のフォッグ美術館へすべて無条件で寄贈されることになる。

コレクションもまた創作であるとはよく言われるが、やはりこのくらいのレベルじゃないと、説得力はないねえ……。

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by sumus2013 | 2017-05-19 21:30 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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