林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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帝大時代の花森安治

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こちらは『花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼』(読売新聞社美術館連絡協議会、二〇一七年)より帝大時代の花森とその友人。この花森の出で立ちがさすがというファッション感覚ではないか。となりのいかにも帝大生でございという制服姿と比較すると驚くというか、あっけにとられる。

扇谷正造が『特集文藝春秋 人物読本』(文藝春秋新社、一九五七年一〇月五日)に「反俗漢・花森安治の秘密」という文章を書いている。かなり精密な伝記が出た今となって見れば、扇谷がうろ覚えと聞きかじりで書いているこの記事には間違いが多い。なかでは帝大新聞時代の思い出に価値があるように思う。

そのころの帝大新聞(現東大新聞の前身)の編集部は安田講堂の左袖のしめっぽい空地の一隅を占めた二階建てのボロボロの小屋の中にあった。二階が東大運動会で下が大学新聞編集部だった。
 ネジがすっかりバカになったドアのハンドルを押すと、十四五人は楽に囲める四角な樫の木作りの机がある。
 机の上座には三年生がズラリと坐っている。

入部を希望した何十人かのうち筆記試験でハネて、これから一人一人我々は新入部員の首実験[ママ]をするわけである。

このとき岡倉古志郎(天心の孫)と田宮虎彦と花森安治の三人が合格した。

編集会議は毎週月、金とある。会議はいつもまっ二つに割れる。片や社会科学=人生派、片や芸術=感覚派というわけで、花森君は、我我とは反対側の芸術派に入っていた。そのころの編集会議では、どんな議論が交わされたか、いまではもう忘れたが、田宮と花森の二人が故梶井基次郎氏の「檸檬」と宇野浩二氏の「子を貸し屋」を激賞し、我々は猛烈にそれを弥次[ママ]ったことだけを思い出す。

田宮と花森は神戸の雲中小学校の同級生だったが、田宮が神戸一中(神戸高校)へ花森が三中(長田高校)へ行ったことで進路が別れ、帝大新聞でふたたび一緒になったのである。「檸檬」は大正十四年に『青空』創刊号に発表された小説。昭和六年に単行本『檸檬』になり、昭和九年に『梶井基次郎全集』(六蜂書房)さらに昭和十一年には『梶井基次郎小説全集』(作品社)にも収録されている。いずれも少部数ながら読もうと思えばいつでも読める状況だった(花森の帝大時代は昭和八〜十二年)。もちろんこれらの出版を淀野隆三の熱意が支えていたのはこれまでも強調してきた通り。それにしても田宮と花森の趣味がぴったり合っていたことがよく分る回想だ。戦後、田宮の文明社を花森が手伝うことになるのも必然のように思える。




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by sumus2013 | 2017-05-04 21:19 | 古書日録 | Comments(0)
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