林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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漱石山房

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漱石のことを書かなくてはいけなくて、書くつもりもなかったので資料もほとんどないのだが(漱石についてはあらゆることが書かれているし、さほど興味もないのだが、つい引き受けてしまった)、たまさか漱石が使っていた印章について少しばかりコピーなどをまとめて保存しておいた。その袋を久し振りに開いてみると、ハラリ、「漱石山房」印のカラーコピーが出てきた。

この印について松岡譲は「印譜を読む」(漱石全集月報第十一号、一九三六年九月)に以下のように書いている。[〜〜は繰返し記号の代用]

この大きな石印の印文は誰にも讀める「漱石山房」。刻者は天地庵主人。初めの頃には先生自慢のものらしく、蔵書に堂々と捺すのが嬉しかつたのであらう、小宮さんあたりを動員して捺した形跡があるのであるが、それよりももつと面白いのは森田さんに「緑萍破處池光浄」といふ大字の横額を書いてやつて、この印をべたりと捺して居るのは、当時よく〜〜これを捺すのが嬉しかつたものと見える。明治四十年頃の事で、まだ毛氈がなかつたらしく、字には畳の目が浮き出して居るといふ特製品だ。

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『別冊太陽 夏目漱石』(平凡社、一九八〇年)より


また古川久「漱石印譜雑記」(『夏目漱石遺墨集別冊』求龍堂、一九八〇年)にはもう少し詳しい説明が出ている。

明治四十二年四月三日の内田魯庵宛書簡に、「文学評論と申す本を春陽堂より出版致候につき一部御目にかけ度小包にて差出候間御落手被下度候 背の字と石摺様の文字は浜村蔵のかけるもの漱石山房の印は大直大我といふ爺さんの刻せるものに候」とある。印文は本の前扉に刷られていて、大いに人目をひく。

この大我先生から青田石を三個八円五十銭で売りつけられ、その上、菅虎雄にもらった印材への彫り賃として十二三円とられたと菅虎雄への手紙(明治四十年二月十三日)で報告しているから「漱石山房」の大きな石(約七センチ角)は菅からのプレゼントだった(菅は当時南京の三江師範学堂に勤めていた)。

なお某氏は篆刻の専門家なのでこの印についてはなかなか手厳しい意見を述べておられる。

篆刻の常識からすると、妙な印面構成です。誤字になって了うところもあるし、結体もダラ〜〜、おまけに(筆でかくと)涸筆になるところにカスレの細かいスジが入れてあります。奇ばつというかふざけているというか。刻者(天地庵主人とあるがどういう系統の刻者かわからない)の工夫?なのか 漱石や、そのとりまきの誰かの発案なのか。

明治四十年頃の漱石はまだまだ文人趣味については初心者に過ぎなかった。明治三十九年の『草枕』では美術知識をひけらかしているけれどどうやら教養の範疇だったようだ。大我先生のいいカモになったのもその浅さを見透かされたのかもしれない。ただし作家としての成熟とともに趣味もだんだん本物になって行く。とくに明治四十三年に死の淵に立ち、かろうじて引き返して来て以降、そして四十四年に訪ねて来た津田青楓と付き合うようになってから、その美術や古美術への関心や鑑賞はひときわ深化したようだ……とそんなことを書こうか書くまいか、迷っている。

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by sumus2013 | 2017-04-28 21:02 | 古書日録 | Comments(0)
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