林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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漱石と京都

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夏目漱石『明暗』(左)と『道草』


大山崎山荘美術館で「生誕150年記念 漱石と京都ーー花咲く大山崎山荘」展を見た。漱石の書画が出ているんじゃないかと期待したのだが、加賀正太郎宛書簡、京都滞在を中心とした日記帳などが主な展示物だった。絵葉書、原稿、画稿、初版本なども少しあった。加賀正太郎は以前にも簡単に紹介したが、大山崎山荘の主で蘭の栽培で知られていた実業家。

「ロベール・クートラス 僕は小さな黄金の手を探す」展

漱石が大正四年(歿する前年)に京都に滞在したとき、加賀は漱石を未だ建設中だった大山崎山荘へ招いた。そして山荘の命名を依頼したのである。漱石は約束はしたものの名案が浮かばずそのまま打っちゃっておいた。加賀は何度も催促をした(《度々の御催促》と書中にある)。重い腰を上げた漱石は一日つぶして俳書や漢詩集を広げあれかこれかと適当な名前を探したのである。そしてなんと十四もの候補を並べた手紙を加賀に送った。その手紙が展示されていた。大正四年四月二十九日付。ずらずら〜っと候補とその出典などの説明を並べてこう結んである。

まあこんなものですもし気に入つたらどれかお取り下さい気に入らなければ遠慮はいりませんから落第になさいもつといゝ名があるかも知れませんが頭が疲れる丈で厭になるから今回はこれで御免蒙ります 以上

加賀はその手紙を掛物に仕立て箱の蓋の内側にこう書き付けている。

大正四年四月廿九日書翰 山荘名撰主人意に満たず尓今大山崎山荘とす 昭和七年九月十七日 正太郎

せっかくだからどれか選べばよかったのに……と思うのは他人事だからかな。

展示物で良かったのは津田青楓の墨彩の軸である。「漱石先生読書閑居之図」(一九二一)。おそらく漱石山房(早稲田南町)を南画ふうに描いたのであろう。洋画家のタッチを残しながらも文人画の勘所を捉えた佳作である。色調も清々しい。というわけで津田青楓が装幀した漱石の本二冊『明暗』(岩波書店、一九一七年)と『道草』(岩波書店、一九一五年)を取り出してみた。もちろん復刻版です。

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漱石の加賀正太郎宛の書翰はもう一通展示されていた。大正四年四月十八日付。それは東京へ戻ってすぐに出した礼状である。留守中の手紙などの処理がたまっていて山荘の名前まで考える余裕がないというようなことが書かれている。そして山荘にちなんだ俳句をサービスした。

  宝寺の隣に住んで桜哉

宝寺というのは蕪村の俳句に出ていたはずだと漱石は書いているが、山荘の隣にある宝積寺(ここも訪問して和尚と歓談したそうだ)をかけているわけである。山荘の入口のところにこの俳句をあしらった碑が建っている。うっかり誰の手か確認しなかった。少なくとも手紙にしたためられた漱石の字ではない。

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それにしても四月十八日付から二十九日付まで十日ほどである。《度々の御催促》とは加賀もなかなか「いらち」な人物だったか。

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by sumus2013 | 2017-04-27 20:42 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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