林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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安井巳之吉日記より

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安井巳之吉「蕪図」一九二六年



『劉生と京都』図録に収録されている安井巳之吉日記より、大正末頃の京都生活をほうふつとさせる描写などを引用しておきたい。「戔」としたところ実際は略字(横三本線の)になっている。

大正十四年

十月二十二日《午後岸田方へ出かけた、もう町は大そうな人出である、(時代祭行列)を見る為の人出だ。寺嶋氏が来たので、奥さんと三人して西本願寺の飛雲閣(桃山時代腱[ママ]築)を見に出かける、仲々の人出で、行列も電車の中にて見ることが出来た。飛雲閣の建築には驚ろいた、実に立派なものだ他に妙法院等行きたく思ってゐたが、時間の都合で後日にして京極の料理店にて、天丼を食す》

十一月一日《十一時頃出かけて京都座に行く、つまらぬ舞踊等多くありたり、天華はさすがにいゝと思った。大そうな人出であった。四條から電車で帰る、食後しばらくして余帰宿す、奥さんは村田氏と出られたと言ふ、余は麗子をつれて京都座に行ったわけである。》

天華は松旭斎天華、奇術師である。

十二月二日《今日家から金を送って来た、五円の金だが実に感謝すべきだ、皆懸命に働いてくれる金だから、つまらぬところあれこれ費やすことは出来ない。そう思ひながらも今日村上があまり行きたがっていゐ[ママ]るので松竹座にて活動を見、石井バク氏、石井小浪氏のダンスを見たが、どうしても自分にはわからないのか知らぬが、いゝものと思えなかった、活動は皆見るにあまり面白くもなく、力抜けのしたものであった、今日送ったき[ママ]来た金は、之と、絵具一色、(前から欲しいとねがってゐたもの)スケッチ板二枚を求めた、絵具が上がってゐるので全く平伏する》

松竹座は近年まで新京極通りにあった。石井バクは石井漠。モダンダンスの先駆者。

十二月二十日《夕頃村上と二人で散歩に行く、日頃なじみの絵具店にて村上が一度家に帰って又来るまでこゝに待つことにした、今日は此の店には客人が多い。仲々忙しくしてゐる、全くくだらなぬ絵がウインドに並べてあった、長く待ってゐたあげくもう帰ろうかと思った頃村上がやって来た、或る画商(三條通りの三角堂)の店に出てゐる絵を見てゐると、かたわらで、セキをした男があった、聞きおぼえがあるなあと思って見ると山岸兄であった、互いに驚ろく、十字屋楽器店にて楽譜を求む、画戔堂にて山岸兄絵具を求む、ビックリキツネとか言ふものを食べる、その大きいのに平[ママ]かうした、山岸兄の用事にて再びアオイヤに行く、四條にて村上に別れ自分は山岸兄と一しょに先生方に行く、もう大分おそかった、先生は床に入っておられた、明日は先生日本画を描かれるので、行くことにした、十二時頃帰る》

画材店の画箋堂は今も健在。アオイヤも画材店のようだ。

十二月二十七日《今日は割引券を持って五十戔で三等に入ることが出来た、始めの映画は全くくだらないものであった、二番のキッドは面白いところもあるが、只笑ってすませる様なものである、三番にやった、フヤバンクスのロビンフットは只見にはあれでよかる別に大して感心したところもなかった、松竹を出て寺町にて村上に別れる》

大正十五年

一月十日《朝起きてみると京都ではまれに見る大雪だった、一尺位はあったと思はれる、寒さは非常なものであった。》

一月十九日《家から金五円を送って来たのでうれしかった、全く感謝にたえない》《今日岸田奥さんとマキノキネマへ活動を見に行く約束あった為早く村上の家を切り上げて、絵具を求め直ぐ岸田方に行く、村上も今日来てゐたわけである、奥さんと二人で行ったころは大分おそくて、もう、目的のチャップリンのゴールドラツシは半ば終ってゐた、がチャップリンの骨ケイ[ママ]は仲々いゝ。近代ではチャップリンは一とう上手であらふ旧劇は面白なかった、佐竹の奥さんが来ておられた、帰りに、スシ屋に入り、味よいところを食し、十一時半頃岸田方に帰る》

京都マキノシネマ、西陣にもあったようだが、ここは新京極通りの小屋か。

一月二十五日《朝九時頃起きる、骨董屋へ行き、先生が買はれた、机とジク物を持って来た、机は古くて仲々いゝものである》

一月三十日《文房堂から送ってきた、ボールドカンパスを取りに郵便局に出かけた、見ると仲々いゝカンパスである、昨日の六号静物を描く、午后から村上を訪問した》

文房堂は神田の画材店。健在。

二月十四日《今日は春陽展出品画の最後の制作である、朝から夕頃まで腱命[ママ]にやった、夕頃運送店に行き絵を送る、冬瓜の絵を出品しようか、しまいかと大そう気にしたが意を決して出すことにした》

岸田劉生は大正十四年四月すでに春陽会は退会していたが、やはり出すとすれば春陽会ということになるのだろう。

二月二十日《朝九時頃まで眠った、午後麗子のベン當を持って行った帰りに岡崎公園を歩む、陳列館の庭から蹴上の山を見たところが、描いたらさぞ面白いと思った》《余も早く床につく、麗子に猫の話しや、雑誌苦楽に出てゐる、きみ悪い絵をみせて、こはがらせた、皆今日は早く床につく、》

二月二十三日《朝起きて京極の風景(小品油絵)を描く》《夕頃から出かける、一しょに来る、京極でチョットした鉛筆村上西角スケッチをした、祇園にて花を買って先生方へ出かける》

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安井巳之吉「京都京極夜景の図」一九二五年


二月二十六日《十時頃から、村上、西角の三人で余の宿に出かけた、三人して郊外写生をやった、水彩をやったが思はしく出来なかった、夕近くから松竹座へ活動を見に行く、つまらぬ映画ばかりだったが、面白かった、十時頃画戔堂で絵具を求む、(今日金を送って来てゐた)》

三月十六日《運送屋が早くから来てくれて萬事よくしてくれて非常によかった。皆かたづいたが、下宿で一人居るのが淋しかった》《村上を訪ふ、ちょうど帰って来て居た、西角と二人で活動へ行ってゐた、帰ってゐるから今日国へ立つことは止めにして、一晩ゆっくり最後として話し合ひ明日帰ることにした、今日彼の父と能のこと等話し合って非常に面白かった、村上と東京のこと等、展会のこと等も話し合った、 山本斯光が自分の絵をほめて居た、(東京毎夕新聞に)

晩おそくまで村上と話す、花合せをしたり、寝静った[ママ]頃、腹がすいて、茶づけのゴハンはうまかった、明日は晝中に色々歩いて晩帰ることにしてゐる。》

巳之吉としてはこのままいっしょに劉生たちと鎌倉へ行って、勉強を続けたかったようだが、親の意向で帰郷することになった。まじめで心優しい青年であった。

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by sumus2013 | 2017-02-14 21:27 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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