林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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飯田九一文庫目録

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飯田九一自画像


飯田九一の俳画を求めたことはすでに報告した。

葉牡丹の裾寒う見ゆ夜は雪か

某氏より『飯田九一文庫目録 地域資料・主題別解説目録』(神奈川県立図書館、二〇一〇年三月)を頂戴した。これは有り難い資料である。九一の年譜、著作目録、短冊類のコレクションから百家の作品(解説と図版)、そして九一の著作の一部が収録されている。

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飯田九一の年譜から主要な項目を引いておく。

明治25年10月17日 橘樹郡大綱村北綱島(現横浜市港北区)に飯田助大夫(海山)の三男として生まれる。八歳の頃から俳句を始める。
明治38年? 日本体育会荏原中学校に入学(東京府荏原郡大井村)。粟津洋帆とともに俳誌『二葉』発行。『中学世界』『文章世界』に投稿。
明治43年春 荏原中学校卒業。白馬会葵橋洋画研究所に入りデッサンを学ぶ。
明治44年 東京美術学校木彫科に入学。竹内久一に学ぶ。
明治45年秋 肋膜を病み麻布赤十字病院に入院。横浜根岸の施療院に転院し療養する。
大正5年春 東京美術学校日本画科に入学。寺崎廣業に学ぶ。
大正7年頃 川合玉堂に入門。
大正9年 東京美術学校卒業。
大正12年 岡田嘉千代と結婚。関東大震災を機に横浜に転居。
大正14年10月12日 第六回帝展入選。
大正14年10月20日 父、死去。
大正15年10月9日 俳骨吟社句会(九一が主選を務める会)。
昭和4年5月25日 俳誌『雑草』創刊(〜昭和6年9月)。
昭和4年6月1日〜 「巴里日本美術展覧会」に日本画「樵夫晩帰」出品。
昭和6年5月 武蔵山(後の第33代横綱)の後援会誌『武蔵山』創刊(九一宅が編集所)。
昭和9年10月 『文藝アパート』第一巻第一号に小説体の作品「植字工」を発表。
昭和10年3月 香蘭会設立。
昭和10年5月5日 純芸術雑誌『海市』創刊。編集にあたる。
昭和10年6月25日 第一句集『寒雀』刊行。
昭和11年9月 第一回香蘭会俳画展開催(横浜市伊勢佐木町野沢屋)。
昭和14年6月20日 第二句集『花蘇枋』刊行。
昭和15年4月 「飯田九一画伯日本画個人展」(福岡市岩田屋)開催。
昭和16年10月11日 香蘭会から海軍省に恤兵品として日本画30点を寄付。
昭和21年6月 横浜市鶴見区花月園内に転居。月刊句誌『鶴』(第二号より『玄鶴』)創刊(〜昭和24年11月)。
昭和28年3月29日 第一回横浜文化賞受賞。
昭和31年10月 第五回神奈川文化賞受賞。
昭和36年3月 「神奈川県古俳人展 筆跡と俳書」開催。記念講演「芭蕉と神奈川県」(神奈川県立図書館)。
昭和45年1月24日 警友病院で死去。七十七歳。墓所は本法寺。
昭和45年10月2日 遺志により研究のため収集した資料を県史編集室に寄託。
昭和46年1月24日 遺稿集『釣魚俳句集』刊行。
昭和46年3月 飯田九一遺作展開催(野沢屋)。『飯田九一遺作展画集』刊行。
平成20年3月 飯田九一没後40年記念展開催(みつい画廊)。『俳画集飯田九一』刊行。

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飯田九一のコレクションはかなりのもの。芭蕉から近現代の俳人や作家まで網羅している。たまたま開いたこのページは左が河東碧梧桐、右の漢詩は岸田吟香。書物は吟香の発行していた『横浜新報もしほ草』である。

『文藝アパート』(昭和九年十月十日)に掲載されている「植字工」には文章の折々に俳句が挿入されている。新機軸(?)の俳句小説。植字工というのはプロレタリア詩人で印刷所を経営していた伊藤公敬(いとうただゆき)のこと。飯田は句集の印刷を伊藤に任せていた。「植字工」からいくつかプロレタリア俳句を拾っておく。


  歯車に人が血を噴く四月哉

  金借りにゆく夜蛙と月の暈

  顔青し街路樹の芽の煤け様

  甘藷粥のあまりに淡し春の雪

  春暁や泣く子泣かせてふかし飯

  蛙の子痩せ田と知らで生れけり


プロレタリア俳句をよむかと思えば海軍に日本画を寄付する。そういう時代の流れのなかに生きていたということであろう。年譜をなぞっていると、やはりまれに見る幸せな生涯ではなかったろうか、という気がしてくる。

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by sumus2013 | 2017-02-09 21:38 | 古書日録 | Comments(0)
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