林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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若草

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『若草』第四巻第三号(寶文館、一九二八年三月一日、表紙=竹久夢二)。昨年、善行堂で求めた一冊。巻頭に【喫茶店の時代】に関する興味深い写真が出ていた。まずは《パリにありし日の足立源一郎氏夫妻/記者一日美術論をきく……》。足立源一郎は画家で「キャバレ・ヅ・パノン」を大坂道頓堀にオープンした人物。以前も紹介したことがある。

芳恵のモデル、その他

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美術論を聞いたのだから記事が出ているのかと思いきや、特段に何もそういったものはない。その代わり石川寅治の「不同舎時代」という回想があった。ついでだから少し引用しておく。不同舎は洋画家小山正太郎の画塾。

石川は明治二十四年の春、土佐から上京して入門した。初めは親戚の家に居たが、すぐに小山宅に起居するようになったという。研究生は三十人ほどで、ほとんどが学校の教師などであった。なかで一人だけ芸術で身を立てようと精進していたのが中村不折だった。

日清戦争が起こり、新聞や雑誌にはたくさんの挿絵が用いられるようになり、画家の仕事も非常に多くなってきた。そのおかげで親からの学資を断って自活できるようになった。それが上京五年目だそうだ。

《私が始めて、自分の絵によつて金を得たことは、展覧会で絵が売れたことは別として、リーダーの教科書の挿絵を描[か]きました。これは西洋木版の下絵であつて、度々書き直しをさせられて閉口したものです。それから、戦争が始つてからは戦争の絵など沢山描きまして可なりに収入を得ることが出来ました。この時代に最も痛快に感じたことは、満谷君と二人で京都へパノラマを描きに行つたことです。そのパノラマは絵の高さが六間、幅が五十三間と云ふ大物でしたが、それを一ヶ月で描上げる約束で若し一日でも延びたれば、延びた日数だけの罪金[ばつきん=ママ]をこちらから出すと云ふことであつたのですが私共二人は此の絵を二十五日で仕上げました。》

《当時天丼が五銭であつたのですが、そのパノラマの揮毫料として二千円、一人が千円つづを得た時、旅舎のランプの下で互に顔を見合はして悦に入つたものです。》

なかなか貴重な思い出話であろう。もう一枚はこちら《辻潤氏送別会/読売新聞海外文藝特置員として渡欧す。》言うまでもなく×印が辻潤である。

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こちらもとくに記事はないが、拙著『喫茶店の時代』によれば辻潤が辻一を伴ってパリへ出かけるにあたって歓送会が開かれたのは昭和三年、カフエ・ライオンにおいてであった。


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by sumus2013 | 2017-01-04 21:06 | 古書日録 | Comments(0)
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