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”らしさ”排撃論『婦人公論』第四百六十七号(中央公論社、一九五六年三月一日、表紙=宮本三郎)。某氏より恵投いただいた。感謝です。花森安治と鶴見和子の対談「"らしさ"排撃論」が掲載されている。これは花森のいわゆる「女装」に対する態度がはっきり表明されている重要な対談だと思う。まずは女性「らしさ」に対して論議が始まる。 《花森 僕が髪を長くしていると女の子のようだと言われます。しかし、ルイ王朝時代とか、リチャード八世の映画を観れば、当時の男は僕より立派な髪をしているんですよ。生理的に、女の人の髪が長くて、男が短いということは、どんな生理学者も言わんと思うのです。それがたまたま、緑なす黒髪ということが、ある時代の男の嗜好にかなったということから、いつか女の一つのスタイルになっているだけです。女の髪は長く、男は短いというのは一つの固定観念ですよ。》 《鶴見 既成のものを破壊しようとおもって、わざと赤いものを着たり、女の服装をしていらっしゃることは、こだわりをぶちこわすこだわりでしょう。 花森 そうです。たいへんなこだわりだ。僕のほんとの希望というのは、赤いものを着たい人は着る、モーニングの着たい日には着てみたり、したいというときにはしてみることですよ。こういう気持が、おそらくは二十四時間中燃えているんですね。だから、あまり僕は楽じゃありませよ。僕も紺のダブルなんか着て、白いワイシャツでグレイのネクタイでもつけていれば、同じことを言っても、あいつはなかなか優秀な編集長だとか評論家だとか言われるでしょう。そのほうがずっと楽だということはわかるのですよ。それを、あれはなんじゃいな、と言われながらやっているということは、たいへんなこだわりだけれども、僕はこのこだわりを捨てるわけにはいかんのです。しかし、そうじゃない自然な状態が近い将来にくると思うのですがね。親と子、使用者と被使用者、為政者と被統治者とかいろいろな区別や階級があるが、近頃では頭のなかでは、だいぶ均[な]らされてきたと思うのですよ。しかしそのなかで、男だから、女だからということは依然として温存されているわけだ、男の立場からも女の立場からも。》 花森の姿勢というか思考法はつねにこの弁証法的パターンのようである。対談の最後には憲法改正問題も取り上げられている。 《鶴見 最後に、憲法改正の問題が、「らしさ」に関連していちばん大きい問題だと思うのですが……。いま改正案が出ていますが、女の人たちは現在の憲法と改正案とを並べられても、実際に自分たちの生活にどういうふうに響いてくるのか、関心をもっていない場合が多いと思うのですよ。改正案の意図するのは、旧道徳の復活であり、個人の自由に対する圧迫であるということは、基本的人権を守るということが削られていることで理解できるのです。それは、親は親らしさ、子は子らしさ、夫は夫らしさ、妻は妻らしさという、上からの強制が復活することです。》 なるほど、昨今の改正論議がこの時代からの悲願だったという主張が良く分る発言である。 《花森 改正するというときに、だれが改正するかということが問題なんです。信用できる人の手で改正してくれるまで待ったほうがいいということも声を大にする必要がある。それから、前の欽定憲法のときには、国民をどういうふうにしばってきたかということを、示すということをだれもやっていませんが、これは大事な作業だと思うのです。今度の改正案が、前の憲法と似ている面を、わかりやすく説明するということは大事ですね。》 《信用できる人の手で改正》というのはアグレッシブな鶴見女史の発言と較べるとかなりノンポリな感じが出ている。しかしながら欽定憲法の実態を検証するという《大事な作業》、こちらは『戦争中の暮しの記録』と同じ発想である。概念的な思考を先行させるのではなく事実を提示して善悪の判断に供する。いわば憲法の商品テストであろう。善くも悪くもこれが編集者・花森安治の真骨頂であった。
by sumus2013
| 2016-12-24 20:55
| 古書日録
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Comments(7)
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唐澤平吉
at 2016-12-25 07:12
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そうなんですね。河合隼雄は「手ざわりの思想家」と評しましたが、花森のばあい、いつも方法を思想に高めてゆこうとしました。方法は便法であって、思想そのものではない。だから女装は「らしさ」とは何かを問いかける便法であって、女装そのものに花森の思想はないのですが、いつまでたっても花森といえばスカートに結びついてしまうのは、方法としては成功でしたが、思想としてどこまで成果をあげたか、いまの政治社会情況をみるとき、花森じしんも暗澹とせざるを得ないのではないでしょうか。
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sumus2013 at 2016-12-25 08:29
世の中の男性がみんな長髪・パーマ・スカートだったら、花森はダブルの背広を着ていたことでしょう。
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唐澤平吉
at 2016-12-25 10:11
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編集にかかわるすべての実務が好きで好きでしょうがなかった花森にとって、ダブルの背広は、あまり機能的ではなかったとは思いますけどね。しごとが一段落した時、たしか毛糸で編んだ英國屋製のジャケットを着て来たことはありました。オシャレがすきな人でした。
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sumus2013 at 2016-12-25 20:13
丸刈りで詰め襟の制服のような格好をした戦時中の花森の写真が何枚かありますね、きっとあれもそのときは花森流のオシャレだったのじゃないかなと……。
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唐澤平吉
at 2016-12-26 07:05
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戦時中の兵役、あるいは大政翼賛会で働いてころについて、読売新聞の黒田清の取材にこたえ、花森は「ぼくは全生命を燃焼さして戦った」「協力した」と認めています。
戦後、小生が小学生のころでしたが、学校の先生にもサラリーマンの中にも、まだ国民服を着ている人がいました。それは軍国主義復活のためでもなく、オシャレのためでもなかったように見えました。 小生は百姓ですから、普段はもっぱら野良着です。勤め人時代の背広やネクタイなどの衣類はタンスの中にいっぱいありますが、畑(職場)に着て出るには、やはり勇気がいりますね。天邪鬼というよりも、とうとうイカレタとおもわれちゃう(笑)。
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sumus2013 at 2016-12-26 08:14
報道技術研究所の机を使い続けたことがそれを証明していますね。そこには善悪の彼岸があるようです。
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唐澤平吉
at 2016-12-26 10:03
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そうですよね。仏教でいえば「色即是空空即是色」で、非情になりえたとき、はじめて生きる思想が生まれるのかもしれません。なんだか漱石の「草枕」の請け売りみたいですが(笑)。
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