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映画狂時代『文藝別冊 花森安治 美しい「暮し」の創始者』(河出書房新社、二〇一一年一二月三〇日)の津野海太郎「ロゲルギストと花森安治」の文章のなかに添えられた写真である。説明はない(本書の写真提供は土井藍生)。 花森が抱えているのはおそらく十六ミリのカメラだろうと思って検索すると、ボレックスH16というモデルらしいと見当がついた。このゼンマイ式モデルは一九三〇年代から映画学校などで入門用のカメラとして広く用いられたという。ジョナス・メカスも愛用していたという名機である。 神戸三中時代という大正十三年から昭和四年になるのだが、当時はまだ国産のカメラは出回っていなかったようなので、外国製を使っていたに違いないが、これはかなり高価なものだったのではないだろうか?(今すぐ値段が分らないのが残念) 《中学生のころ、月々二円五十せんの小づかいで、一冊でも余計に本を買うには、古本屋の、それも十せん均一、二十せん均一の中から、あさるより仕方なかった。猫や羅生門の初版本を十せんで買ったおぼえがある。そういう中でさがしたのは、大ていぼろぼろになっていた。それを子どもらしい智慧で、表紙をはがし、母に端切れをもらって、装幀しなおしたのが、何十冊にもなって、それが病みつきになった。》(装釘集成104頁、初出は『芸術新潮』一九五二年七月号) 当時二円五十銭の小遣いはたぶん八千円程度だろう。とくに貧しいとは思わないが、パテーベビーが買えるほどではないかもしれない。ならば自前のカメラではなく学校にあった(?)機材を使ったのだろうかと思ったりもする。学校にそんなものがあったのかどうか、それは分らない。あるいは裕福な友達が持っていたのだろうかとか、いろいろ妄想にふけっている。
by sumus2013
| 2016-12-06 21:38
| 古書日録
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Comments(6)
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唐澤平吉
at 2016-12-06 22:23
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昭和30年代の朝日新聞に<きのうきょう>という連載コラム欄があったようで、そこに花森は「もし落ちたら」と題して書いています。中学受験のとき、花森の父親が「もし落ちたら、ほしがっていた写真機を買ってやる」と言ったそうで、この写真機がパテーベビーだったのか、それはわかりませんが、舶来のカメラを買ってもらえるほどの家庭環境だったのじゃないかしら。ちなみに花森は、もっていた古いパテーベビーを編集部の余興の景品として出し、それを河津さんがもらったはずです。
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sumus2013 at 2016-12-07 08:00
なるほど、火事にあった後もそのくらいの余裕は十分あったということですね。おそらく100円(現在の30万円前後)はしたのではないかと思います。
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唐澤平吉
at 2016-12-07 15:47
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火事のあと、こどもの花森ひとりだけ数日間、近所の外人宅で世話になっていたという逸話がありますね。当時の長男(嫡男)なる存在は、衣食をはじめ何かにつけ他のきょうだいとは別格の待遇をうけていたようで、いまの平等感覚からすれば、弟の松三郎さんから見ても、うらめしかったのじゃないかしら。
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sumus2013 at 2016-12-07 16:30
正直、甘やかされていたようですね。小学生のころは「ごんた」だったということも書かれていましたが、よほど可愛いがられていたのでしょう。
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唐澤平吉
at 2016-12-07 21:08
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そうなんでしょう。小生がこどもの頃、おとな達は「ごんた」を甘やしているふうがありました。いまは「ごんた」がいなくなり、陰湿なワルガキ(表面は良い子ブリッ子)ばかり増えているような世相におもえます。
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sumus2013 at 2016-12-08 08:29
子どもは大人の鏡ですからねえ……
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