林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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f0307792_20330561.jpg

『花森安治装釘集成』を呈上した方々よりお礼のメールやお便りをいただいている。そのなかで反響が大きいのはこの謹呈箋。本体と同じB5サイズでしかも「謹呈」の文字は黒マットの箔押しなのだ。いまだかつてない(かもしれない?)謹呈箋なのである。

"謹呈"が短冊ではなく本と同じ大きさであるのは、本書に自信あり、とのメッセージとも受け取りました。

と言って下さる方もおられた。ありがたいことだが、実のところ、これは紙が余ったための窮余の策なのだった。この謹呈箋は表紙と同じGAファイルという銘柄である。表紙にこの紙を指定したところ、印刷所からB5判の取り都合が悪くかなり大量のロス(すなわち紙の切れ端)が出てしまうと言われた。そこでみずのわ社主が「謹呈箋にしてはどうです?」と提案してくれたのはいいが、普通の謹呈箋サイズでは厚みがありすぎる。ならば「本体と同サイズにしよう!」、ただしB5判にカットしてしまうと厚さがあるため普通の小型印刷機にかからないそうで、それなら文字も箔押しでとなり、このような形に落ち着いたしだいである。

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紙の取り都合ということで、たまたま池島信平『雑誌記者』(中央公論社、一九五八年一〇月六日、装幀=花森安治[装釘ではなく装幀と印刷されている、念のため])をめくっていると次のような話が出ていた。池島は昭和八年文藝春秋社入社である。花森とも親しくしていた。『文藝春秋』が復刊した昭和二十一年頃のこと、紙が値上がりして途方に暮れた。闇で入手しなければならなかった。

《ヤミ紙といえば、当時のヤミ屋のことを思い出す。ほとんどのヤミ紙は第三国人の経営の新聞社から出たものである。新聞に対する紙の配給は当時、順調であり、ことに第三国人の新聞社は大威張りで公定価格の紙を獲得し、そのほとんどをヤミに流していた。》

要するに何も印刷しなくてもボロ儲けできたわけだ。第三国人……久々に聞く単語である。

《彼らとその代理人は一種の「乱世の雄」であった。いっそサッパリしたくらい商魂に徹していた。ハッキリした商売だから、こっちもその気で立ち向かえば、事はスムーズに運ぶのである。思えば彼らにずいぶん儲けられたものだが、また彼らのためにわれわれの雑誌も発行をつづけることができたのであるから、考え方によっては一種の恩人である。彼らは今、どうしているだろう。大儲けした彼らが、韓国や、台湾に帰って、朝鮮戦争や中国の内戦でクタバッていないことをわたくしは祈る。》

これらのヤミ紙は主に新聞の巻取用紙なので『文藝春秋』のような雑誌を刷るにはこの端を何十センチか切らなければ、印刷の輪転機にかからない。そこで呼ばれたのが何と「木樵」であった。

《まことに妙な取り合わせだが、実はこの木樵はわれわれにとって大へん重要な人物だったのである。それは新聞巻取を雑誌用のサイズに切るためである。紙は木材パルプから造られるが、巻取紙のようになると、これは紙ではあるが、むかしの木材にかえったかと思うほど固く重い。これをノコギリで横に断ち落すということは木樵でなければできないのである。彼はただちに凸版印刷に案内され、そこで毎日作業に従事した。》

この凸版印刷は板橋工場のことである。なんとも不思議な光景だったろうと思わざるを得ない。

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by sumus2013 | 2016-11-29 21:19 | 装幀=林哲夫 | Comments(2)
Commented by akaru at 2016-12-01 14:49 x
《ヤミ紙といえば、当時のヤミ屋のことを思い出す。ほとんどのヤミ紙は第三国人の経営の新聞社から出たものである。新聞に対する紙の配給は当時、順調であり、ことに第三国人の新聞社は大威張りで公定価格の紙を獲得し、そのほとんどをヤミに流していた。》
この話、宮崎修二朗翁(お若いころ国際新聞社の記者)が詳しくして下さったことがあります。
Commented by sumus2013 at 2016-12-01 16:16
皆さんご苦労なさったんでしょうね。
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