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淀野隆三再評価十一月十九日土曜日の毎日新聞に「Topics 梶井基次郎「檸檬」の恩人 仏文学者・淀野隆三/没後半世紀 再評価の声」という記事が掲載された(記者=鶴谷真)。二カ月ほど前に鶴谷氏が来宅して取材してくれたのである。来年が歿後五十年なので多くの人に淀野のことを思い出して、あるいは新たに知っていただければ有難いことである。小生の顔写真はいらないでしょう(笑) ご子息より記事の訂正がひとつ。ミカン行商と文中にあるが、行商ではなく買い付けだった。 《ミカンの行商につきましては、母がたの里がニシキ通りで御所に収めている八百屋さんでした。ある年の暮れに、店の前が空いていますから、ミカンを売らせて、ということになり、やってみたら売れて売れて困った。そこで、八百屋が出来てしまったわけです。 東京に単独で出かける前でしたか、父は有田ミカンなどの買い付け折衝を手伝ってやったことがあったわけです。》 また「一種の塾」とあるのは洛南文庫という淀野の構想した教育機関のようなもの。 《川端の鎌倉文庫設立に刺激され、洛南文庫を設立しました。私が小学校の4年生の頃です。構成は貸し本と言語講座、特別講演でした。貸し本については、京都の友人、桑原武夫、貝塚茂樹等文学者、作家の所蔵本、当然自分の所蔵本が中心でした。対象者は、最後の三高生、同志社、立命館の専科、のちに新制度になり、三高は京大に編入されます。この言語講座から、第1期のフルブライト生、中でも東大の言語学者の池上先生、カリフォルニア大の教授、現象哲学の下店栄一などが排出されています。 その後同志社の学生が、刺激を受け、洛南クラブを結成し、夏休みに小学生の学習指導講座として継続された形です。私が遊んでいた知り合いが先生ですが、私が先生と親しすぎて、バカにするもので彼らは困ってました。》 小生の説明が足りなかったと反省している。
by sumus2013
| 2016-11-22 08:53
| 文筆=林哲夫
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Comments(16)
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牛津
at 2016-11-22 22:25
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今週の土曜日、日曜日に開催される中央線古書展に淀野の毛筆色紙が2点出ています。出品店は、下井草書房です。安いですよ。
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sumus2013 at 2016-11-23 08:33
HPの目録で確認しました。有り難うございます。たしかに安いですねえ。これをもっと高くしたいものです。
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sumus2013 at 2016-11-26 08:59
淀野記事に訂正と補足をいただきました。
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藤田雅之
at 2017-02-06 15:12
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鳥羽高校で「京都二中」の歴史を調べている者(教員)です。淀野隆三は二中時代、野球部の捕手、主将でした。本校の『野球部誌』に試合成績などの記事が多く出ています。三高でも主力となり、名物の一高との定期戦で活躍しました。「野球少年」淀野三吉も、伝記的には重要かも。『SPIN』を読みましたが、二中についてもっと記述はあるのでしょうか。教えていただけたら幸いです。
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sumus2013 at 2017-02-06 19:54
藤田様 二中時代の野球のことはほとんど出ていなかったと思いますが、『spin』に掲載したものはごく一部ですので、これからデータを調べてみます。しばし時間をください。
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藤田雅之
at 2017-02-07 12:39
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ありがとうございます。「クリーンナップを打つ強打者」という、風貌からは想像できない意外な?一面も、面白いかと存じます。宜しくお願いします。
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sumus2013 at 2017-02-07 21:09
二中時代の日記から二中と野球について触れている部分を引用してみました。もう少し詳しい記述があればよかったのですが。
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藤田雅之
at 2017-02-08 18:20
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ありがとうございました。二中での生活が充実した多感なものであったことが伝わってきました。校史の冊子に引用させて頂きたいと存じます。当時の中学生は、エリートだったとはいえ、一七才の文章力、文化的教養に感心します。恋においても純真、かつ早熟ですね。いずれ「野球部誌」の淀野についての記載を紹介します。宜しくお願いします
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sumus2013 at 2017-02-08 20:00
お役に立てれば何よりです。1921〜22年の全文をご希望でしたらsumus_coアットマークyahoo.co.jpまでご連絡ください。そんなに大量ではありません。
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藤田雅之
at 2017-02-10 12:56
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ご厚意ありがとうございます。あつかましいお願いですが、ぜひお願いします。校史『京二中鳥羽高ものがたり』の第2巻執筆にあたり、大正期の資料が少なく、淀野日記に期待しておりました。三月書房で「spin」を買って以来、中学時代の記述が見たかったのです。(昔、恭一さんから「sumus」をもらいました)淀野隆三は、梶井基次郎・川端康成との交流や、フィリップ・プルーストの紹介で関心があり、第2巻に特筆するつもりです。野球部員としてのキャリアも本物で、当時全国屈指の強豪だった二中で、2年から選手で5年には主将。2年次には全国代表となるも米騒動で大会が中止。大正8、9年は京滋準決勝敗退。10年は痛恨の1回戦負けという、悔しい戦績が「野球部記」や「朝日新聞」で判る。また『三高野球史』には、部員集合写真に彼が写っています。ちなみに、二中時代には、捕手として長身豪腕ノーコンの長濱投手の怪速球を三年間受けており「名手」と賞されています。それらの資料と拙著を送らせて頂きます。目を通してみてください。
くれぐれもお仕事等に障らぬよう、お暇なときで結構です。 『京二中鳥羽高ものがたり』http://www.sankei.com/west/news/160406/wst1604060027-n1.html
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sumus2013 at 2017-02-10 21:43
有り難うございます! ぜひ拝見したいです。
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at 2017-02-16 17:17
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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sumus2013 at 2017-02-16 17:24
返信さしあげたのですが、届いていませんか? 今もう一度返信しました。ご確認ください。
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sumus2013 at 2017-02-17 17:15
メールが不明で戻ってきます。カギコメでご住所をお教えいただければ、まずデータをお送りいたします。あるいはFacebookにご登録でしたらそちからでも。
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at 2017-02-21 10:19
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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sumus2013 at 2017-02-21 11:43
返信いたしましたが、届いておりませんか。資料送らせていただきます。
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