林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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遠西名物考

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百万遍のクズ和本の山から拾い出した珍本のひとつがこちら。題簽もなくなっている。手に取って表紙を開いたところに《遠西名物考 巻ノ一/二三》と書かれていた。本文をざっと眺めると写本でしかも医学か科学の本らしい。とにかくこれは「ゲットだぜー」。

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タイトルの次の頁には「目録」があり「百春窗」(たぶん窗だと思うのだが?)の朱印。
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そして書名と著者名、編集者名が並んでいて、本文もここ三丁目から始まる。原著者は宇田川玄随(1756-1798)、号は槐園、東海。津山藩(岡山県津山市)の藩医の子として江戸で生まれ、江戸蘭学勃興期に活躍した蘭方医の一人。

《オランダの医者ホルテルの内科書を翻訳し,わが国最初の西洋内科書刊本『西説内科撰要』全18巻を刊行。この書は江戸での刊行途中で玄随が死んだことから大坂に移されて続刊され,京都の小石元俊が続刊の陰の協力者となって完結に至っている。また同書収載の西洋薬物を解説した『遠西名物考』を準備したが未刊に終わった。》(宗田一)


未刊に終わった『遠西名物考』を誰かが書写した一冊がこの写本だということになる。検索してみると京都大学大学院薬学研究科・薬学部図書室に一冊(三巻)所蔵されている。寄贈者は百々復太郎。この人物は明治期の神戸病院医員で神戸医学校の教諭だったらしい。『京都帝国大学図書館案内』(一九〇八)によれば

《医方ノ大家百々漢陰及其父南岳両先生ノ遺書トシテ其孫百々復太郎氏ヨリ五千七百四十九冊》

が寄贈されている。百々漢陰(どど・かんいん、1774-1839)は京都出身、朝廷の御医だった父俊亮に医を皆川淇園に儒を学び、父の後を継がず開業医となった。御医は弟の俊道が継いだ。

また二年ほど前のヤフオクに写本が一冊出品されたことがあるようだ(残っている書影によると本書とはわずかに記述が異なる)。版本になっていないため江戸時代の医学生たちがせっせと筆写したのだろうか。

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「酒」の項目にはワインの製造過程の説明も見える。白酒が白ワイン、赤酒が赤ワイン。

《酒羅甸ニ之ヲ非奴謨[ヒヌム]ト謂ヒ拂郎察ニ之ヲ欣[ヒニ]ト謂ヒ和蘭ニ之ヲ物応[ウェイン]ト謂フ此レ熟シタル葡萄ヲ絞搾[シボリ]テ其汁液ヲ聚メ製醸スル所ナリ其初テ絞搾シテ未タ製醸ヲ経サルノ汁液羅甸ニ之ヲ没私黙謨[モスチユム]ト謂ヒ拂郎察ニ之ヲ没烏私多[トウスト]ト謂ヒ和蘭ニ之ヲ没私多[モフト]ト謂フ其味美ニシテ賞スベシ》

《白酒ヲ造ルニハ全ク水晶葡萄[シロブトウ]ヲ用テ只赤酒ヲ造ルニハ即チ其葡萄汁ト其搾リ取リタル余渣ヲ合シテ醸シ成ス此ノ少シノ外ニ添タル所為ヲ作スニ由テ赤酒ノ方ハ白酒ニ比スレハ酒石多ク且ツ之ヲ飲ムニ体中ニ停滞スルコト更ニ久シ》

没烏私多[トウスト]の没(ト)はママである。

フランス人ショメールの『厚生新編』(一七〇九年、家事百科辞典)の翻訳(オランダ語からの重訳で抄訳)が始まるのが一八一一年(文化八)、この翻訳には宇田川玄随の養子・宇田川玄真も参加した。七人の訳者が三十年かかっても未完成だったようだ。また玄真とその養子の榕庵がまとめた西洋の薬物を紹介した本『遠西医方名物考』三十六巻は文政八年(一八二五)に刊行が終わっている。ヴォリュームはまったく比較にならないものの『遠西名物考』はそういう流れの端緒でもあろうか。

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by sumus2013 | 2016-10-30 21:20 | 古書日録 | Comments(0)
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