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添水句集処女句集の話題を取り上げた翌日、こんな本を買った。所用で街中へ出たついでにのぞいた某書店にて。二冊揃っていた。奥付を引き写しておく。 添水句集 昭和五年十二月十五日印刷 昭和五年十二月二十五日発行 京都市中長者町室町西入 発行兼編輯人 野崎添水 愛知県幡豆郡西尾町中町四八 印刷人 富田富[ママ]三郎 愛知県幡豆郡西尾町中町四八 印刷所 うしほ印刷所 京都市中長者町室町西入 発行所 林鐘社 添水第二句集 昭和七年六月十五日印刷 昭和七年六月二十五日発行 京都市中長者町室町西入 発行兼編輯人 野崎添水 愛知県幡豆郡西尾町 印刷人 富田兼三郎 愛知県幡豆郡西尾町 印刷所 うしほ印刷所 京都市中長者町室町西入 発行所 林鐘社 野崎添水の私家版。どういう人物かは検索してもあまり詳しくは分らなかったが、京都の画家で俳句は『懸葵』の中川四明に師事したようである。句集の方に「申込者芳名」というリストと謝辞があり、発行部数は二百だったことが分る。他には函館師範学校の関屋盛一、越後柏崎の大倉清一、越後塚山の長谷川楽水、函館の笹本如九、東京の林田曉見、大津の木村芳翠、門田史湖らに特別な声援をもらったとしてある。 印刷人の富田兼三郎は富田うしほと名乗る俳句仲間であろう。村上鬼城の弟子だったらしい。 俳人鬼城、逝く 《富田は西尾市の印刷業者で、大正3年(1914)25歳のとき鬼城に弟子入りし、鬼城を7回も西尾市に招いて直接指導を受け、月刊俳誌「山鳩」「若竹」を発行しました。また、鬼城臨終の時も含めてたびたび高崎を訪れています。》 号は添水「テンスイ」だろうか、普通は「そふづ」。前書きで固有名詞の出ている俳句をいくつか引いてみる。 真如堂の畔に某友の画室を訪ねて 花の鐘筆洗ふ水のくもりかな 對池兄と落柿舎を訪ねて 閑談の中に蛙の唄の節 寺戸なる卯之助氏の陶房を訪ねて 陶窯の煙りやほそき梅の月 元井三門里氏の絵更紗画塾にて一句 絵更紗や遅日の筆を弄ぶ 柏崎 洞雲寺に遊ぶ 閑月老師、涓潤師、對池兄、添水 寝転んで話すに涼し松の風 画人近藤氏と語る 耳澄むや常磐木のみの庭の面 蓬軒子を悼む ものたらずなりし木幡の夏霞 史湖子と吟行して 蜩や山の陽のこる三井の鐘 痩石翁の上洛を迎へて 秋灯の僅かの酒に夜の更けし 伊賀友田の里なる深井國手の邸にて 霧雨や鐘に暮れゆく山館 卯之助は陶芸家の河合卯之助。元井三門里は絵更紗の作家。涓潤は上杉涓潤、柏崎天輪寺住職で「貞心尼雑考」などの論考あり。蓬軒は埼玉県比企郡嵐山町の俳人か。痩石翁とあるのは新潟の画家・山岸痩石であろう。對池兄とはとくに親しかったようだが、誰なのか分らない。 俳句は絵描きだけに見たままの素直な作風である。
by sumus2013
| 2016-10-27 21:20
| 古書日録
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Comments(2)
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