林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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花森バースデー

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本日十月二十五日は花森安治の誕生日。明治四十四年(一九一一)生まれ。よって生誕一百五年に当る。小生架蔵のなかではいちばん古い『美しい暮しの手帖』第三号(衣裳研究所、一九四九年四月一日)を取り出して、花森の仕事を偲んでみた。この号は『暮しの手帖』史上で唯一の汚点(?)、ゾートス化粧品の広告が裏表紙に掲載されている。

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これについてはいろいろ憶測されているようだが、暮しの手帖社のHPでは以下のように説明されている。

『暮しの手帖』たったひとつの広告について

花森が大政翼賛会に在籍していた頃、報道技術研究所のデザイナーだった山名文夫といっしょに国策宣伝のポスターを作ったりしていた(津野海太郎『花森安治伝』年譜による)。そんな旧知の山名が窮状を察して助け舟を出したのだろうか。いずれにせよ、このデザインはどう見ても山名らしくない。やぼったい。以前紹介したこちらの方がずっとスッキリしている。


山名は生活社から『宣伝技術』(一九四三年)を刊行している。これは花森と生活社の関係から実現したものとも推測されるが、生活社と言えば、河津一哉・北村正之『「暮しの手帖」と花森安治の素顔』(論創社)が刊行されたという記事を日本の古本屋メールマガジンで読んだ(河津氏には『花森安治装釘集成』でもたいへんお世話になりました。お礼申し上げます)。

天才編集者花森安治のもとで薫陶を受けた日々をふり返る
ここにこのように書かれている。

鐵村はその「東京社」に勤務ののち、1937(昭和12)年に「生活社」を創業している。『婦人画報』だけでなく、『スタイルブック』の編集にも係わっていたようだ。つまり、翼賛会時代に花森は、これらの雑誌づくりのノウハウを鐵村から学び、『婦人の生活』を企画編集したと考えられる。

これは『「暮しの手帖」と花森安治の素顔』でインタビュアーをつとめた小田光雄氏の推測であるという。う〜ん……婦人雑誌すなわち生活社から出た『婦人の生活』シリーズを編集することになって花森は既存の雑誌を参考にしたとは思うが、鐵村からそんなに学ぶことがあったのだろうか、とも思わないでもない。具体的には小田氏の論旨をつぶさに読んでみなければならないが。

それはともかく『美しい暮しの手帖』の広告に話を戻すと、これもたまたま架蔵する第五号(一九四九年一〇月一日)の「あとがき」につぎのように書かれている。

《やっと、ここまで来ました。初めて、この雑誌を出してから、やつと一年たちました。雑誌のいのちから言つて、一年は短いものでしようけれど。私たちには、苦しい長い一年でございました。
 いまどき、そんな雑誌を出せば、三号も経たぬ中に、つぶれてしまうと言われました。真面目すぎて売れないだろうとも言われました。止めた方がいいとみなさんが言つて下さるのを、振り切るようにして、第一号を出し、第二号を出しました。親兄弟の反対を押し切つて結婚する、そんな気持ともうしましようか。ただ一すぢに、私たちの心の中の、強いものを信じる思いでございました。
 第一号は赤字でした。第二号も赤字でした。今だから申せるのですが、そのために昨年の暮は、正直に申して生れて初めて、私たち、お餅をつくことも出来ませんでした。どうぞ、つぶれないで下さい、というお手紙を、あんなに毎日いただくのでなかつたら、どんなに私たちが意地を張つても、やはり第三号は出せなかつたことでしよう。》

署名は(S)だから大橋鎭子だろう(?)。安堵と覚悟の感じられるいい文章である。広告が喉から手が出るほど欲しかった……に違いない。

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『婦人の生活』シリーズにも共通する目次の構成。

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花森得意の「直線裁ち」の見開き。これは学生時代からのアイデアらしい。

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おや、と思ったのは「昼はソファに/夜はベッドに」という一頁の記事が島崎八郎の名義となっていること。島崎は島木健作の兄で神田神保町の喫茶店「ラドリオ」オーナーでその二階が自宅だったらしい。本郷の古書店・島崎書院(八郎が養子に入った家、島木の本名は朝倉)の神保町店だったという。本郷は空襲で焼けて神保町は残ったそうだ(なお拙著『喫茶店の時代』では島木八郎と誤っているので訂正しておきます;p203)。

本文はエッセイが三分の二ほどを占めて、挿絵は多いものの、見る雑誌というより読ませる雑誌となっている。執筆陣も幸田文、壷井栄、福島慶子、片山廣子、網野菊、田村秋子、長谷川春子、森田たま、松本千恵子らの女性がおおよそ半数を占めるのも当時にあっては異色だったかもしれない。

花森自身は「服飾の読本」を連載している。これがまたいいたい放題の反骨漢を彷彿とさせる。

《どうして、街を歩くときは、あかるい色のスエタアを着るのに、学校へ行くときは、ドブネズミのような色の服を着てゆかねばならないのだろうか。》《ペストやコレラのように、あかるい色や美しい色を、恐れるのであろうか。》(通学服は花のように)

《どういうものか、学校を出たてのひとは、紺という色が嫌いらしいが、これは、おそらく学校時代に、あまりにも着なれた色であり、学校を出たからには、もう見向きもしたくないという気持からではないかとおもう。
 しかし、紺はいい色である。ことに、二十才前後の若いひとにはいい色である。》(若いひとには紺)

ううむ、矛盾しているようで一貫した主張、ようするに世間の常識には反対(あるいは見直す価値あり)ということなのであろう。



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by sumus2013 | 2016-10-25 21:13 | 古書日録 | Comments(0)
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