林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ダンナさまマーケットに行く

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瀧澤敬一『ダンナさまマーケットに行く』(暮しの手帖社、一九五九年七月二〇日二刷、装本=花森安治)。花森の装幀本のなかでも最も好きなデザインのひとつ。最初はこれを『花森安治装釘集成』の表紙にアレンジしようかと思っていたのだが、ラフを試みてみたところB5判サイズとなると文字の扱いがなかなか難しい。結局は断念した。

瀧澤敬一はこんな人。

1884-1965 大正-昭和時代の随筆家。
明治17年3月23日生まれ。横浜正金銀行にはいりフランスのリヨン支店勤務となる。着任以来数年間のアジア勤務をのぞいてリヨンに滞在,退職後も同地にとどまって,フランスの世相や文化に関するエッセイを日本におくりつづけた。昭和40年2月26日死去。80歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「フランス通信」「シャンパンの微酔」など。》(コトバンク)

フランス事情を生活者の目線で描いており、やや常識人の感想というきらいはなきにしもあらずなれど、それゆえに記録という意味ではいろいろと興味深い。

《エール・フランスの航空路で北極経由ならば東京からパリまで丁度三十時間でつく。横浜からマルセイユ港まで四十日近くかかつて辿りついた昔を思えばほんとうに夢のようだ。日仏の文化交流がしきりに称えられ色々な社会層の人々が手つ取りばやく往復するようになつたが、その代り、途中熱帯の旅の面白味は見られなくなつてしまつた。フランスの話にしても表玄関から客間に通されたようなもので、茶の間や台所を見学する機会にはあまり恵まれていない。そこが私の付け目で、いつでもくだらない事ばかり書くことになつてしまう。》

昭和三十四年(初版は六月一日)でもまだ「つ」を小さくしていないのが暮しの手帖らしい(?)。三十時間はつらいなあ、しかもプロペラ機だろうし(世界初のジェット旅客機が飛んだのが一九五二年、ボーイング707の初飛行は一九五七年末)。距離の話をもうひとつ。

《[昭和七年]天下泰平の当時東京、パリ間のメールはシベリヤ便で二週間、アメリカ経由は一カ月、海路スエズの運河だと四十日近くかかつた。》《現在の普通便は早くて二十五、六日のこともあるが三十五日から四十日かかるのが常で時候のあいさつでなくても気が抜けてしまうので九割までは航空便になつた。》《エーヤメールは早くて便利、東京、パリ間早いのは三日目、地方のリヨンでも一日遅れでくる。但し新聞一枚に二百五、六十円、単行本だと目方にもよるが千五、六百円はかかり新刊小説に定価の数倍する切手を貼ることになる。パリ一流の服飾雑誌「オフィシエル」を東京まで送るのにいくらかかるか計算してみたことがある。その号は目方が千五百五十グラムで切手代は四千一百フラン、定価の一千二百フランと合わせてかなり高いものにつくが、五千や一万のはした金を屁とも思わない大流行の洋裁学校では常々こんなふうにして取寄せ同業者の鼻をあかせようと競つているものであろう。》

《シベリヤ便は昭和十六年(千九百四十一年)六月二十二日独ソ開戦でぴたりと止まり、十二月八日のパール・ハーバーからアメリカも通れず、東京の新聞は五月ごろから一枚も着かなくなつた。二年後フランスが八方ふさがりになり外国郵便事務が停止されたとき敵国人である私の海外に送れる唯一の音便はジュネーブで捕虜通信の世話をやいていた万国赤十字社本部の厄介になるよりほかはなかつた。》《アメリカに住む日本人の友だちへ宛て「どこにいるのか、お大事に、われわれ一家はリヨンで健在、第六巻執筆中、皆さんへ宜しく」とかき送つた。これの発信が千九百四十三年十二月二十一日、ジュネーブ受付一月六日、シカゴ到着五月九日、返信を見たのがなんと十一月四日であつたから今ならば往復一週間のところに十一カ月もかかつたことになる。》

銀行勤めだけに数字に明るいのがそのエッセイの価値を高めているようにも思われる。文学的な記事はほとんど出て来ないが、サガンが登場しているので引用しておこう。

《日本でもほんやくの出ている『ボンジュール・ツリステス』(悲しみよ今日は)の著者フランソアーズ・サガンは当時十八才の女学生であつた。堅気の過程ならば若い娘にそんな小説は決して見せられないというその年頃で、よむどころか本人がさつさと立ちいつた小説をかいてしまい、時代の移り変わりを四、五十からの婦人に見せつけた。
 サガンは世界の紙価を高くし印税で買つた高級車を乗りまわしているが、ひきつづいて出した小説『ある一つの微笑』で新進作家としての手腕を認められ、すつかり売れつ子になつて活動している。戦後、若い女流作家はまずイギリスに現われ、フランスにも及んで、数もだんだん増してくる。
 なぜ若い女がこんなに達者にかきまくるようになつたのか、その理由の一つを、アカデミー・フランセーズのアンドレ・モーロアが「自分の室が持てるようになつたから」だとしている。》《しかし「一室を持つ娘」の女としての幸福が母や祖母の時代よりも大きいかどうかは別問題であろう。》

『ある一つの微笑』(Une certain sourire)は一九五六年発表、邦訳は『ある微笑』(朝吹登水子訳、新潮社、一九五六年)。発表の年に邦訳が出ているのが注目度を示している。『悲しみよ今日は』(一九五四年)も五四年に邦訳(安東次男)されている。

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by sumus2013 | 2016-10-17 21:39 | 古書日録 | Comments(0)
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