林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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思い出す顔

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戸板康二『思い出す顔』(講談社、一九八四年一一月二〇日、挿画=野見山暁治)。「花森安治が登場しています」と某氏が恵投してくださった一冊。索引があればなあと思うくらい有名人がむやみやたらに登場する本である。それでもなんとかザァーッとめくって「花森安治」を探し当てた。まずは、

《ベルクラブの幹事をずっと続けて引き受けていたのは、NHKテレビの「おはなはん」の原作者、林謙一さんだった。「暮しの手帖」というユニークな生活雑誌を作った花森安治さんが戦争中大政翼賛会、林さんが情報局にいたのは、そういう才人の談話や文章を、利用しようとしたのだろうが、人選を一体誰がしたのだろう。》(洒脱なエスプリ)

というくだり。津野海太郎の花森伝によれば《利用しようとした》というのは少し違う。第二次近衛内閣の新体制下で軍部の影響力を極力抑えようという意気込みが当初参加した文化人たちにはあったようだ。《人選を一体誰がしたのだろう》について津野氏はこう書いておられる。

《帝国大学新聞の「親分」で、東京日日新聞の政治部長から翼賛会宣伝部長に転身した久富達夫にひっぱられたようだ。》(文庫版、p184-185)

さらに戸板は戦後の花森についてこういうエピソードを披露する。

《花森さんは、スカートを穿き、髪にウェーブをかけ、うしろから見ると、一見中年の女性のようだった。
 大石よしえという女代議士が、花森さんと新年の毎日新聞の紙上の対談をした時、はじめからおわりまで、大石女史は花森さんを男と思わなかったという。
 いかに何でも、このまま別れては変だと考え、いあわせた記者が「最後に花森先生、女性に対して、異性の立場で(ここは、ゆっくり発音した)お話し下さい」といったが、駄目だったそうだ。花森さんはこの話をぼくにしたあと、付け加えた。「ああいう人は、他人のいうことなんか、耳に入れないんだ」》(同前)

花森の女装、これは朝のドラマでも踏襲して欲しかったなあ……。もう一ヶ所、こちらはいっそう興味深い。

《しかし、これは前に書いたことだが、戦争中だからこそ、という話を、ひとつだけ書く。
 昭和十六年十二月九日、つまり太平洋戦争の開戦した翌日、つとめていた明治製菓の宣伝カーが供出させられ、大政翼賛会の演説のために、銀座や上野のさかり場をまわった。
 花森安治氏との初対面がこの日で、当時は五分刈りの頭の花森さんが車の屋根から群集に呼びかけた。》(さまざまな光景)

津野氏はこの話を取り上げていない。ちょっと惜しい。《五分刈りの頭の花森さん》という証言はぜひ入れておいて欲しかった。ただ《花森の講演は関西なまりの明るいしゃべり口で、たいへん人気があったという》(p198)と津野氏は書いている。後年の話だとしても、花森がどうして宣伝カーの上に立ったのか、という疑問にひとつ答えてくれるのではないかと思う。


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by sumus2013 | 2016-09-27 21:16 | 古書日録 | Comments(0)
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