林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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香炉峯の月

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出海博史(いづみひろし)『手帖』(私家版、二〇一六年七月三〇日、二十六部)。出海氏の美術に関する短いエッセイ四篇を収めた文集である。たとえば「見張り」では美術館の展示室の隅に座っている人たちのことを少年時代の思い出にからめてサラリと描く。

《ごく最近になって、学芸員をしている知人と話をしている時に「見張りのひと」のことを思い出した。あのひとのこと、本当は何と呼ぶのか聞いてみた。
「ああ、監視スタッフ、とか、監視さん、と言いますねえ」
 ちょっと素っ気ないが、そんなものだろう。
 しかし僕の頭の中では、いつまでも見張りのひとがいて、いつまでたっても彼女に微笑まれてもじもじしている、というわけなのである。》

この話を読んで思い出したが、何十年か前に京都の国立博物館でこういう人たちのことを「衛士」と呼ぶんだと知ったときに、なんとも時代がかった呼び名だと思った記憶がある(今どう呼ぶかは知らないが)。「守衛」と似ているかもしれない。その守衛も警備員に変って今ではアルソックとか…ちがう?

野見山暁治が松山の夫婦でやっているバーでデッサンする話も面白い。


***


『陶庵夢憶』より「香炉峯の月」。『枕草子』二百九十九段、「香炉峰の雪いかならむ」と問われて御簾を高く掲げて笑いをとった、あの香炉峰である。

香炉峯の絶頂は、折りたたなわる山々、突兀としてそそりたつ峯々がたがいに入りみだれ、千丈巌がにょっきりと行く手をさえぎって、岩と岩とが一丈ほども離れており、腹這いになって下を見れば、足がふるえて進むことができぬ。王文成が若い頃ここを飛んで渡ったことがあり、人々その大胆さに感服したといわれている。

王文成は陽明と号した明朝最大の思想家である。文成は諡(おくりな)。陶庵の曾祖父は陽明の再伝の弟子(孫弟子)だったという。

《わたしの叔父爾蘊[じうん]は毛氈で体を包み、岩に縋って下りた。わたしは二人の木樵を両脇に抱え、谷底からよじ登った。癡絶[ちぜつ]というべきであろう。
 天啓七年[1627]の四月、わたしは天瓦庵で読書していたが、午すぎ、二、三の友人と頂上に登って夕日を見ようということになった。すると一人の友人がいった。
「ちょっと待った。それより月の出を待って行こうや。よい機会はまたと得がたいのだ。たとえ虎に出遇ったとしても運命だ。それに虎にも道があろう。夜になれば豚や犬を食いに山を下りるだろうし、まさか虎が山に登ってお月見としゃれこむこともなかろうじゃないか」
 なるほどそれも一理あるというわけで、四人は金簡石の上にあぐらをかいて坐った。》

天瓦庵は香炉峰の北側に祖父が再建した山寺の一角にあって背に絶壁を負っていたそうだ。白楽天が「香炉峰下新たに山居を卜し草堂初めて成り偶東壁に題する」で《香炉峯雪撥簾看》とうたったような場所に陶庵も居たわけだから、そこでも十分絶景であったろう。香炉峯を夜うろうろするなんてとうていできそうもないのだが……お坊ちゃんたち。

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香炉峰
http://bbs.lvye.cn/thread-1154762-1-1.html


案の定、心配した下男や寺僧たちが七、八人、彼らを捜しにやってきた。その松明を遠目に見た人は「昨晩八時すぎ、何十本もの松明を持った山賊が百余人、張公嶺を越えて行ったが、どこへ出たのか知らん」などと次の日に噂していたという。中国人の針小棒大ぶりがよくわかる。



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by sumus2013 | 2016-08-20 20:42 | 古書日録 | Comments(0)
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