林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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戦争中の暮しの記録

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『戦争中の暮しの記録』(暮しの手帖社、一九六九年八月一五日)。これも当然ながら花森安治の装幀。初版本である。意外と珍しいかも(初版に格別な価値があるというわけではない)。字体や文字の配置、手帳の写真などキッパリしたいい装幀である。ここに薔薇の蕾を置いたのが花森らしいメッセージなのだろう。

花森安治の装釘世界「戦争中の暮しの記録」 

本書のなかに「百姓日記 昭和二十一年一月一日からその年の八月十五日まで 田中仁吾」があって、これは「米作農家の側からみた敗戦の年の記録ーー佐賀県兵庫村(現在佐賀市)の場合」との副題をもつ。食料には困らなかったにしても農家は農家なりの混乱があった。それらはおいて、終戦直前の流れについてのみ参考にしてみたい。まず八月五日、佐賀市空襲があった。

《恐ろしい大量の飛行機の爆音が聞えてきたのと同時に、暗い夜空にピカリと一点の光が見えた一瞬、白い光がツーッと下り、ドローンと爆裂の音と同時に火花を三間ばかり高く吹きだし、最初の投下を合図に、次から次に投下され、国道以南は火柱の海となった。
 一時は恐しさを忘れ、「まあきれい」と思った瞬間、頭上を巾広い爆音とともに北のほうに飛んで行く。》

そして八月六日、

《また昨夜の空襲は、佐賀市の、南東の方だけの被害で、市内の中心地は被害を受けなかった。
 夜大本営発表で「広島市に強力爆弾が投下され被害が甚大なり」との放送があった。》

七日は静か。八日には米軍の小型機が低空飛行で宣伝ビラを撒いて去った。八月九日、

《正午過ぎ大本営発表のラジオ放送で、長崎市に新型爆弾が投下され、被害が非常に甚大であったことを放送した。
 夜ラジオ放送で、北九州地区にB29三百機来襲の放送に引きつづき、大本営重大放送で、
「昨日八日ソ連が日本に宣戦を布告し、ソ満国境は戦闘状態に入れり」との放送に、
「おちを、こりやァ「正人どんも危のうなったばい」と俺もおどろいた。
 幸子も「正人兄さんはどぎゃんしとるじゃろうか、ソ連が日本に宣戦布告するちうことがあるもんか」と腹立る。》

八月十一日、県庁の警察本部が爆撃される。十二日、県庁を見物に出掛け《はじめて見る爆弾の威力に驚嘆し、無意識のうちに恐怖を感じ、目に見えない圧力が苦しかった》と書いている。

十四日夜、明日正午重大放送ありとの特別放送があった。その十五日、

《友達の真崎清一君が田圃帰りに、
「オイ、仁吾、今日正午に重大放送のあるごと放送したが、どぎゃな放送じゃろうか。ひょっとすると、降参した放送じゃなかろうか」と心配した表情で話す。
「俺も、そうじゃなかろうかと思っとる。日本もいまさらアメリカに敵前上陸することは出来んことじゃろけん、あさんのいうごと、降参したこっじゃィ、分らんぼ」》

《ジーンと十二時の時報とともに、
「大本営発表、今日正午をもってポツダム宣言を受諾せり」との放送に。
「ポツダム宣言ちゅぎィ、何のことじゃろうか」とみんなが不審がっているとき「只今より陛下の玉音放送がありますから」とラジオより流れる陛下の玉音。
 甲高く、不明瞭に、語尾が震え、断片的に聞こえてくる言葉と悲痛な語調とが、敗戦のお知らせであることには間違いない。聞き入るうちに胸が熱くなり、女たちは目頭をおさえ、すすり泣きの声が聞こえている。
 玉音放送は終った。降伏のお言葉は聞かなかったが、降伏のお知らせの詔書であることは分った。》

とこのように書かれているが、これはかなり脚色された記述である。下記サイトが玉音放送の手順や内容について詳しい。百姓日記がいかにあやふやかということが分る。

玉音放送とラジオ

玉音の後で和田信賢アナウンサーがポツダム宣言や終戦について解説したのであって、前もっての説明はなく終戦の詔書を不明瞭な音声で聞いただけで敗戦を即断することは庶民には難しかったろう。昭和天皇の声を聞くのも初めてだった。

ただし、日記にもあるように現実の空襲の惨状、ソ連参戦を知っている国民が、それまで一切なかった天皇が自ら放送するという異常事態に接すれば、それはもう「降参したこっじゃィ」と思うのは当然である(例外的に「もっと頑張れ」と聞いた人もいたらしい)。

だから、上記のような記録をうのみにしたドラマや映画で天皇の放送を聞いて泣き崩れるという演出をこれまでよく見てきたが、それは、もうよほど漢語に通じている人間か、あるいは勝手に負けを早合点する単なる非国民であって、和田アナウンサーの説明を聞いて、どうやら負けたみたいだな、となんとなくほっとするというのが本当の順序ではないかと思う。むろんその場にいたわけではないので断言はしないけれど。

たまたま、ちょうど『改訂版 自分の年表 湊精一 1911〜2006』(くまがい書房、二〇一六年八月二日)という個人史の本を頂戴したので、そこに転記されている日記から終戦日の記述を引いてみる。場所は秋田である。

《8月5日 金次郎と荒巻に疎開荷物運ぶ。
  14日 夜11時頃からB29、17機日石土崎精油所に来襲し、家族一同本家の山の家に避難する。
  15日 昼、天皇陛下玉音放送し敵に和を乞う。ラジオ聞きとり難し。》

8月全文を引用した。《玉音放送し敵に和を乞う》という表現はやや正確ではないような気もするが、内容としてはたしかに、敵に和を乞うた、その報告である。この日記の筆者は慶応大学法学部卒だから玉音の意味を、聞き取り難いにもかかわらず、理解し得たのだろうか。新型爆弾については何も記されていないのも気になるといえば気になる。

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by sumus2013 | 2016-08-15 20:49 | 古書日録 | Comments(4)
Commented by 唐澤平吉 at 2016-08-16 12:16 x
かつて斎藤美奈子さんは本書をさして「フィクショナルなアナザーワールド」と揶揄しました。ことばを換えれば「脚色された世界」とでも言うのでしょうか、彼女には、ここに書かれたことすべてが「現実」とおもえなかったようです。記憶は風化してゆきます。教科書的な「正確」な史実の記述はもちろんたいせつですが、あやふやを否定できないにしろ、花森は体験者の生身の「声」を残しておきたかったのではないでしょうか。一事が万事、だから本書には記録としての価値がない、というような受けとめ方をする人が出ないことを願いたいですね。
Commented by sumus2013 at 2016-08-16 15:59
敗戦から二十年以上を経た、この本が編まれた時期における現実が反映されているように感じます。言及した日記でも、活字になる段階でいろいろな意味でふるいにかけられているのではないでしょうか。ただ、それはどんな歴史資料にも言えることです。書かれたものは、要するに読む側がどう読むかによって内容が決まるという性格を本質的にもっているのでは。

花森ならそのくらいのことは百も承知だったでしょう。フィクショナルなアナザーワールドとみなされる危険も予見していたような気がします。しかし、それでも、ないよりある方がいいということではないでしょうか。
Commented by 唐澤平吉 at 2016-08-16 20:27 x
まさにそうなのでしょう。茨木のり子や山田風太郎も、それを言いたかったと思いますね。「平和」な時だからこそ、戦争という「非日常」を考えるためのとっかかりとして、花森はこの特集を編んだとおもいます。この林さんと小生のコメントのやりとりも、戦争と暮しを考え、史実を求めるためのきっかけになればいいですね。
Commented by sumus2013 at 2016-08-17 08:03
まさしく事実を求めるつづける必要があると思います。
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