林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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田端人/大和通信

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矢部登さんより『田端人』第一輯(二〇一六年八月)が届いた。『田端抄』が一冊にまとまって、このあと、どうなるのかなあといらぬ心配をしていたが、『田端人』と名前を変えて続刊されるようだ。うれしい。

『田端抄』(龜鳴屋、二〇一六年二月一日)

まず冒頭は「いにしえの田端の里をおもえば砂場があった」。砂場は蕎麦屋。田端と蕎麦にまつわるあれこれがつるつるとたぐり寄せられる。

《昭和四十年ころのはなしとして、山本氏は浅草に古くからある寿司屋の親方から「そばっ喰いとは言うけど、そばは食うとかすするとは言わない、たぐるものだ」と教えられ、「美味しいものを食べるのではなく、ものを美味しく食べることの大切さ」をはじめて学んだという。たぐるとは、辞書の新解さんをひらくと「両手をかわるがわる動かして、手許へ繰り寄せる」とあり、明治生まれであろう親方の口からかたられる、そばっ喰いの作法に瞠目し魅せられた。
 ほれぼれとする親方の姿が浮かびあがり、心にくし。
 その日を境にあらためて蕎麦はたぐる。》

十年ほど前に茅場町の長寿庵でもりを食べ、店にあったPR誌『新そば』を開くと山本益博「そばをたぐる」が載っていて、そこで村瀬忠太郎『蕎麦通』(一九三〇年)を知ったというくだりである。そしてその後、山本益博『大人の作法』を読んで、この寿司屋の親方というのが弁天山美家古寿司の内田榮一だったことを知る。本のなかの蕎麦と実際に矢部さんがたぐった蕎麦がないまぜになってなんとも美味なエッセイになっている。

そして田端、結城信一、清宮質文と矢部さん偏愛のテーマがつづき「空無頌」として帖面舎と津軽一間舎、からなし・そさえてについて既発表の文章を大幅に改稿してまとめておられる。こちらも本好きにはたまらない一篇である。


『大和通信』104号(海坊主社、二〇一六年八月一〇日)は中尾務さんより。月の輪書林高橋徹が「川崎彰彦メモ二つ」を寄稿していて、オッと思う。メモ1はたなかよしゆき『詩集冬の木』(葦書房、一九七五年一月二〇日)について。メモ2は詩と評論『月刊近文』(大阪・伴勇)について。川崎、寺島珠雄、そしてそれらの珍しい資料を丁寧に保存していた長谷川修児のこと。月の輪さんらしいこだわりがうかがえる一文だ。

中野朗「川崎彰彦を探して第十八回 『川崎彰彦傑作撰』顛末」は同書が刊行一ヶ月で完売したことについての報告。善行堂と三月書房があわせて五十冊売ったという驚き(京都で五十冊売れたことになる)。三百部発行が少な過ぎたという反省も。せめて五百だったかと。たしかにそうだ。値段が安かったのもあると思う。いや、しかし、いい本だから売れた、そういうことだろう。また、当銘広子さんも「本が出来た」として『大和通信』の発行そのものが『川崎彰彦傑作撰』のためにあったということを書いておられる。

『川崎彰彦傑作撰』(中野朗・中山明展、二〇一六年四月九日)

中尾さんは「阪田寛夫、能島廉の年譜を編む」。能島廉(のしまれん)については無知だった。中尾文もかなり凄い逸話が盛りだくさんだが、ウィキの「能島廉」を読むだけでも小説になる人生だったことがよく分る。阪田寛夫がモデル小説を書いているそうで、その「よしわる伝」にこうあるという。

《最低の位置に自分を据えたお蔭で、野島〔=能島〕はただ一人無疵なのだった。その代わり、と言ってよいかどうか、同じように自分を戯画化し卑小化して相手を斬る「劣等感もの」を書いていた私の経験から言えば、そのあと、同じように長い小説が書けなくなった》

三輪正道「還暦・定年・無職以後(二)」は新著『定年記』(編集工房ノア、二〇一六年七月一五日)ができるまで。《七月八日、六回目の放射線治療をおえ、鯖江の家に帰ると長野市の亜細亜印刷から段ボールが九つ届いた。》……これは読みたいなと思う。三輪さんと同い年だし。



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by sumus2013 | 2016-08-04 20:19 | おすすめ本棚 | Comments(0)
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