林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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仏和会話小辞典

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エ、ラゲ編訳『仏和会話小辞典』(天主公教会、一九〇五年七月二二日)。扉には『仏和小辞典』とあり仏文タイトルは「Petit dictionnaire français-japonais pour la conversation」。某氏より恵投いただいた。深謝です。

《同封の一冊、このような状態で、なんともはやなんですが、明石町にあった頃の立教が発行にからんでいるようなので(私は練馬で、池袋の立教には近いので、それだけの理由で(笑)、入手しました。》

という某氏のメモの通り扉の裏に《Imprimerie RIKKYO GAKUIN PRESS/60.Akashicho Kyobashi-ku》とあり(奥付にも明記されている)、また序文の最後、編訳者ラゲの住所が《Tōkyō, Kyōbashi-ku Akashichō, 35.》となっているので、当時ラゲが住んでいたのは明石町(旧築地居留地)の立教大学の隣、築地聖路加病院の北側あたりだったと分る。印刷を監督する意味でも印刷所の近くに滞在したのであろうか。なお、立教は米国聖公会、ラゲはフランス(ベルギー)のカトリックである。

《築地居留地の35・36番は、カトリック築地教会》との御教示をいただいたので検索してみると一八七四年にパリ外国宣教会が建てた教会で、東京のカトリックの中心拠点だった。以下に述べるように同会から派遣されていたラゲが滞在するのに不思議はない。


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公教宣教師ラゲとはどんな人物か。日本語のウィキにも立項されている。日本に長らく滞在し、歿したのも東京である。パリ外国宣教会(Missions Étrangères de Paris)のアルシーヴに略歴が出ているので主にそちらを参照しながら簡単に紹介しておく。

エミール・ラゲ Émile Raguet(1854-1929)
ベルギーのトゥールネー(Tournai)教区内ブレーヌ・ル・コント(Braine-le-Comte)に一八五四年一〇月二四日に生まれた。ボンヌ・エスペランス中等神学校で優秀な成績を修め、トゥールネー高等神学校へ進み、一八七七年五月には副助祭に任命された。同じ年の九月、パリ外国宣教会に入会を認められ、七八年九月には助祭に任命された。七九年三月聖職者塗油(l'onction sacerdotale)を受け、同年四月、日本での宣教へと出発した。

長崎に到着してすぐに長崎湾の島々に派遣された。古い殉教者たちの子孫からなるキリスト教徒たちがいた(隠れキリシタンのこと)。ラゲ神父はおよそ十五年間、彼らの間に留まった(ということは二十五歳から四十歳頃まで)。次に司教からキリスト教化していない地域を調査するように求められ、福岡、大分、宮崎、そして最後に鹿児島へと移った(一八九六年)。そこは聖フランソワ・サビエ(ザビエル)が一五四九年に上陸した地である。

すでに鹿児島では五島の隠れキリシタン出身の島田喜蔵が旅館の一室で布教活動を始めていた。島田は香港のパリ外国宣教会へ一時身を寄せたことがあり、そこで髷を落としたという。その後、横浜、長崎の神学校で学び、一八八七年に司祭に叙階された。その島田の後継者として、九六年にラゲが着任した。鹿児島での彼の仕事で特筆されるのは、石造りのザビエル聖堂の建設(一九〇八年)と小野藤太らの協力で実現した仏和辞典の編集、『新訳聖書』の翻訳である。

ラゲは十四年間鹿児島に居たそうだが、布教するだけでなく、若い神父たちの宣教活動の手助けをする仕事も行った。そこで彼は「仏和辞典」を作ることを企て、小野藤太(1870-1916)の協力を得ることになった。小野は数学者で当時は第七高等学校講師だったらしい。数学問題集や数学に関する著書、また仏教(真言宗)に関する著述も多いが、アルシーヴによれば死の床で洗礼を受けてカトリック信者になったという。

[つづく]

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by sumus2013 | 2016-08-02 20:36 | 古書日録 | Comments(3)
Commented by kaguragawa at 2016-08-02 22:26
確かな文献が手元にありませんが、築地居留地の35・36番は、カトリック築地教会の場所だったと思います(昨年、秋この辺りをしつこく歩き回りました・・・)。ラゲさんは築地教会に寄留?されていたのではないかと思います。
Commented at 2016-08-02 22:33
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by sumus2013 at 2016-08-03 10:15
御教示有り難うございます。にわか検索による知識ですので助かりました。
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