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ポール・クレーの食卓吉岡実をもう一冊。『ポール・クレーの食卓』(書肆山田、一九八〇年五月九日)。装画は片山健。装幀は小林一郎氏によれば亜令(書肆山田のスタッフ大泉史世さん)とのこと。西武百貨店の包装紙は田中一光デザイン。 吉岡実の詩の世界 → 吉岡実書誌(小林一郎編) 表題作「ポール・クレーの食卓」の後半を引用しておく。 からの罎は立っている 卓の上に棲みついて独り だれだって立っているとということがさびしくなる しぜんにほそいくびになる 招かれないので 朝から晩まで戸口の隅に つぼまったまま滴をたらしている雨傘 卓のまわりは椅子が寄り 皿や器が集ってくる そのなかには無益にも食いあらされた皿もある それにもまして哀しいのは汚れない皿 棚のうえに重なり重なり そのまま夜はバターの下でひびかない こころなごむ宴も終りちかく 母のふくらむ腹をした 塩の壺のなかから 声がでてくる 応えがないのでまたもとのところへ戻る 永遠に拭く人の現れぬ食卓 四方から囲む 白いかべはたった今 海をのんだのかひっそりとして 吉岡はクレー作品から直接に触発されたのだろうか。そうであるような、そうでもないような。 《タイトルポエムの〈ポール・クレーの食卓〉は、かねてクレーのような詩も書きたいともらしていた吉岡積年の想いの詩篇。》(小林一郎「拾遺詩集《ポール・クレーの食卓》解題」より) なるほど「クレーのような詩」か! 「のような」は具体的なモチーフを指しているとは無論思えない。しかしなんとなくクレーの作品から食卓を探して見たくなるのが人情。手近に画像検索した結果を以下に掲げておく。また検索していて『クレーの食卓』という料理本があることを初めて知った。 ポール・クレーと英語読み(パウル・クレーが日本では通例)になっているところに何か意味がある……考え過ぎ?
by sumus2013
| 2016-07-12 21:39
| 古書日録
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Comments(2)
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小林一郎
at 2016-07-14 23:31
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「ポール・クレーの食卓」拝読しました。「解題」をご紹介いただきありがとうございます。
出典は昭和24年8月12日の吉岡実日記で、「Mからポール・クレーの絵のある〈みづゑ〉を借りる。原始の素朴な夢と淋しさの底から滲みでる抒情。冷めたい知性を包む幻想の交響曲。仕事のあいま、またねどこの中でポール・クレーの絵をみたり、評伝をよむ。クレーのような詩も書きたいと思った」(現代詩文庫版『吉岡実詩集』、116ページ)です。 日記中の『みづゑ』は1949年3月の通号520号。国会図書館のOPACを見るとクレー特集のようで、以下の3篇が掲載されています。 ・江川和彦「ハーバート・リードのポール・クレー論」 ・長谷川三郎「ポール・クレー」 ・阿部展也「ポール・クレー雑記」 したがって、吉岡の「ポール・クレー」は『みづゑ』の表記を踏襲したものと考えられます。 (同号はかつて国会図書館で閲覧してコピーも取ったはずですが、整理が悪くて今すぐに出て来ません。) 「Bunte Mahlzeit, 1928」も、たしかモノクロ図版で載っていました。吉岡の「ポール・クレーの食卓」が同作品をなぞったものかは微妙ですが、むしろ「Um den Fisch, 1926」が「静物」(夜はいっそう遠巻きにする)に影響しているように思います。
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by
sumus2013 at 2016-07-15 08:47
昭和24年の『みづゑ』ですか、なるほど。当時は英語表記が優勢だったんですね。いつ頃パウルに変ったのか、興味をもちました。土方定一さんあたりからかな……?
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