林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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方向

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『方向』2号(方向の会、一九七〇年一二月二〇日)を某書店さんが送ってくれた。同人雑誌である。ここに淀野隆三の子息である隆さんが淀野隆之名義で「「癌」とその背景 父と子の日記」を執筆しておられる。引用文中《昭和四十一年》とあるのは「昭和四十二年」の誤植。

《昭和四十一年七月七日。私は、父を亡くした。肺ガンだった。六十三歳。二年八か月にわたるガンとの闘いの終末が、やはり、死だった。
 父は、文学者だった。小説をやった。仏文学の教授として、大学生に、教えもした。その父が、肺ガンに犯されていることを知った時、私は、父にかわり、父のガン闘病の姿を、全く、冷酷なアウト・サイダーとして、記録しようと思った。
 それが"文学者である父"に対する唯一の親孝行だと考えたからだった。
 父も、毎日毎日の闘病を、文字にしていた。痛さをこらえ、顔をしかめ、一字一字を、まるで、紙に彫刻しているような、そんな姿を私は、何度か見た。
 「外村、高見、亀井。次は、俺や。梶井は結核で死によった。この時代に、結核で死ぬ者なんていよらへんやろけど、ガンは、治らんで。まあ、梶井の二倍生きられたんやから、ええけどなぁ」
 父の関西弁には、親しみと、柔らかさが有った。父の独特のひびきが有った。悲しいひびきだった。》


この雑誌には献呈署名がある。

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隆さんが父上の『青空』以来の盟友・中谷孝雄に送ったものだった。背に描かれた「ヨドノ隆三のこと」という文字は中谷によるものだろう。たしか中谷は『招魂の賦』(講談社、一九六九年)に淀野隆三を取り上げて最晩年の様子を描いていた。隆さんは中谷の作品に触発されて迷っていた闘病日記の発表を決めたのではないだろうか? また癌告知の問題にも関心を寄せておられる。当時の東大病院では告知しない方針だったようだ。ただ結局は知れてしまい、がんセンターで左肺を全摘するという大手術を受けて成功、一旦退院することができた。この闘病記には手術成功までが細かに描かれていて、臨場感がある。

本日は淀野隆三歿後四十九年、すなわち五十回忌にあたる。不思議なことに、某新聞社の記者氏より淀野隆三について取材したいという電話がかかってきた。むろん快諾したのだが、梶井基次郎をはじめとする『青空』同人たちの世話役であり、マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の産婆役であり、戦前の左翼シンパであり、実業家であり、社会改良家であり、祇園を知り尽くした粋人であり、フィリップらの翻訳者であり、愛書家であり、明大教授であり、そして何より高桐書院の華々しい時代(火の車の時代も)を取り仕切った出版人であった淀野隆三、より多くの方々にその大きな足跡を知ってもらいたいと思う。

淀野隆三(左)と中谷孝雄

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by sumus2013 | 2016-07-07 21:36 | 古書日録 | Comments(0)
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