林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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明治演説史

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『切抜帳』と題箋のある和綴じ本。開いてみると文字通り新聞の切抜きがいろいろと貼付けてある。ただし新聞の名と掲載年月日が記されていない。切り抜きで大事なのは紙誌名と掲載年月日である。切り抜いている本人は分っているつもりでも時間が経てばそんなことはきれいさっぱり忘れてしまう。利用価値も半減以下になる。ぜひメモしておくようにお勧めする。

ただ一点だけ《一四、七、二六 東朝》と書かれている記事があった。それは三宅雪嶺「明治文学史の側面観 『思ひ出す人々』を読んで」。「一四」が大正であることは『思ひ出す人々』の刊行年から知れる。

他には滝本誠一「世に出んとする佐藤信淵全集」、馬場孤蝶「「思ひ出す人々」に感服す」、「ライブラリアンの手帳(二)」、「豆腐ばかりで育った不思議な女 それが為め母と養子に…虐げられて家出」、篠山立男「金の御殿」「西郷南洲のこと」「小泉八雲」「エレキテル」「和尚と小僧」、佐佐木信綱「長慶天皇御在位確認の史料について」、林若樹「古紙雑談」、狩野亨吉「埋もれた革命的思想家安藤昌益の『自然真営道』」、そしてメインは廃姓外骨「明治演説史」(第一回のタイトルは「日本|明治 演説史」)である。これが目に付いたので買い求めた。

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幸い宮武外骨『明治演説史』(有限社、一九二六年四月三日)はデジタルライブラリーで閲覧することができる。その序文に

『帝国大学新聞』の記者より何か書いて呉れと頼まれたのに因るのである、それで大正十四年十月五日発行の同新聞第百三十六号より今年二月一日発行の第百五十二号までの紙上へ十四回に渉つて連載したのである。然しそれは簡単圧搾の叙述であつて省略した所が多く、本書の十分の一にも足りない内容であつた

としてあって上の切抜きが『帝国大学新聞』だということが判明した。ただ貼付けられているのは全十四回のうちの一〜五、十二〜十四の八回のみである。

第二回、その「演説といふ語」がなかなか痛烈。「演説」という語については、明治七年夏、福沢諭吉が「スピーチユ」と「デベート」をそれぞれ「演説」と「討論」と訳してその大概を小冊子にして社中に配り、明治八年慶應義塾内に初めて演説館を新築し演説討論演習用に供したと書いている(『交詢雑誌』三百二十四号)、そしてまた『福沢全集緒言』に出ている自記にこうある。

《原語のスピーチユに当るべき訳字を得ず、此時不図思付きたるは、余が旧藩中津にて藩士が藩庁に呈出する書面を演舌書と云ふ例の事である、社友と謀り舌の字は余り俗なり同音の説の字に改めんとて演説の二字を得てスピーチユの原語を訳したり》

これに対して外骨は容赦ない反駁を加える。

《これはコケおどしの瞞着でなくば諭吉先生の浅識無学によるのである、演説といふ語は我国に古くから行はれて居た、舌でない演説書の例は中津藩ばかりでなく、幕府の『公裁秘録』などの類には
 文化十三年子年
    演説書  松平和泉守
 駿州(中略)依之及演説候
など云ふ例は数十ある》

《演説の二字をスピーチの義に使はれた例もある、『古事談』の巻三に最勝八講の事を記して「権少僧都澄憲ハ講師ヲ勤仕シ、第二日ノ夕座に[ママ]当リテ演説玉ヲ吐ク」とある、これは『金剛経』に「受持ノ読誦、人ノ為メニ演説ス」などあるに拠つたのであらう 自称の学商福沢諭吉先生は味噌屋をも兼ねて居たらしい

味噌屋」というのはむろん「手前味噌」のこころであろう。

四つ目綴じのこの本、じつは吉田弥平編『中学国文教科書巻五』(光風館書店、一九一五年一月五日修正十版)だった。

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切抜きが貼付けられているのは全体の三分の一程度。後はきれいな本文のまま。参考までに大正四年の国文教科書には誰の文章が取り上げられていたか。高山樗牛、夏目漱石、島崎藤村、島村速雄(海軍大将)、徳富蘆花、新井白石、山路愛山、黒板勝美、中邨秋香(国学者)、遅塚麗水(文章家)、幸田露伴、山県有朋、勝海舟、矢野龍渓……である。

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by sumus2013 | 2016-06-27 20:59 | 古書日録 | Comments(0)
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