林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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筑摩書房創業50周年

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『有隣』260号(有隣堂、一九八九年七月一〇日)には「座談会 筑摩書房 志の出版 50年目の再出発」という記事が巻頭に組まれている。出席者は鶴見俊輔、関根榮郷(筑摩書房管財人・代表取締役)、森本政彦(筑摩書房専務取締役・編集部長)、司会は松信泰輔(有隣堂社長)。この時点から二十七年を経ているわけだが、それはそれで興味深い内容である。

上のスケッチを描いている阿部合成は青森中学で太宰治と同級であり親友だった。京都絵画専門学校へ進み入江波光の指導を受けた。『人間失格』のモデルだという。昭和十五年、創業当時の筑摩書房の住所は東京市京橋区銀座西六ノ四。

《関根 (略)来年は筑摩の五十周年に当ります。一九七八年に約三十五億の負債を抱えて倒産し、十五年間で全額返済するという更生計画を立てました。以来約十一年、滞りなく弁済してきまして、昨年あたりの実績は、『ちくま文学の森』とか文庫や単行本等も好調です。》

たまたま都内の土地高騰で、本社の物件を比較的いい値段で買っていただくことになりました。まだ十五億の債務が残っていますが、その売却代金のなかで一挙に返済することが可能になりました。

移った先は蔵前のマスダヤビル六・七階である。

《倒産時には約二百名余の社員がおりまして、人件費のカットは相当乱暴に三五%の賃金カットをやりました。人員整理も希望退職を募集し、組合も協力してくれました。》

このとき吉岡実も筑摩を退いた。

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後半の談話では鶴見俊輔さんの発言に目が止まる。オルテガの『大衆の反逆』を援用しつつこう分析する。

《つまり、創業時に発行した三点、『中野重治随筆抄』、宇野浩二の『文藝三昧』、中村光夫の『フロオベルとモウパツサン』はもちろんだけれども、戦争中の四、五十点はみんな五百部、千部の用紙の割り当てがあるかどうかということが問題だったのが、そんなことは全部忘れられているような状態が、倒産前の約十年だったと思うんです。》

《筑摩のサイズは初め、古田晁、臼井吉見、唐木順三の三人だったのが、どんどん膨張して最後は二百人。あるところで大きな計画をやると、そこは労働強化になるから、ピューッと人を入れる。そうするとサイズは大きくなる一方で、コントロールができないほどの惰性が来る。これが倒産のすべてですね。》

《一万や二万は本じゃないというようなフワッとした感じが社内に出ると怖いんですよね。それならどうして石けんか何か売りにいかないのか。石けんは同じ顔をしているけれど、本というのは一人にとっての本なんです。それを忘れたら、出版はやらないほうがいいと思います。》

究極の正論だ。もうひとつ、鶴見さんが古田に初めて会ったときの印象を語っているのも面白い。古田の人柄が如実に現れている。

《昭和三十四年に、私は金町に住んでいたんですが、家にいたら、ガラッと戸が開いて、色の黒い年配の知らない人が入ってきた。それで「筑摩書房の古田です」って。会ったことがないんだ。で「ちょっと……」といって、オールドパーを置いたんです。年末ですから。彼は私が酒を飲まないことを知らないわけ。金町まであのころ来るって、大変でした。私は認識も全然なかったし、あとで考えてみると、筑摩書房の社長なんだな。それで、何となくオールドパーをそこへ置いて、サッと帰っちゃった。会ったのは一分半か二分。何ともいえない恥ずかしそうな表情をしていたの、彼は。》

鶴見さんは古田のはにかみを会社に個人がいる証拠だと見た。《個人がいなくなった会社にはどういう意味があるか。それが問題なんですよ》。ただし筑摩の倒産は古田の個人的な責任ではないのかと思わないでもない。個人を離れたクールな経営ができていれば……それがいいかどうかは、また別の問題だが。

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by sumus2013 | 2016-05-26 20:53 | 古書日録 | Comments(0)
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