林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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凋傷何必

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しばらく前になるが、こんな軸を買った。「五山」とあるから菊池五山だろう。クセのある筆致で書かれた五山の漢詩は今日でもしばしば見かける。よほど需要があったものと思われる。貧生でさえこの他に色紙ほどの大きさに書かれた漢詩をも架蔵するのだから。この軸は七言絶句のようだが、例によって読めない。こんなもんかいなという程度で読んでおく。御叱正をお待ちする。

[小鈴雪]
 凋傷何必[1]青腰
 木荷風光更是饒
 一抹斜陽天亦酔
 酒亭隔水近相招
  舎北[2]荷景物殊[3]
        五山 [?][無絃]

木荷というのはツバキ科の樹。青腰がよく分らない。[1]は抬?、[2]は捨、[3]は座であろうという御教示をたまわった。深謝です。もう少し考えさせていただく。

新たに御教示コメントいただいた。

凋傷何必[恨]春腰
木[落]風光更是饒
一抹斜陽天亦酔
酒[寄][隠]水近相招

舎北[揺][落]景物殊[佳]

[1]恨は納得。「春腰」もなるほどと思われる。[2]揺、[3]佳はたしかにこれでピッタリだ。「落」としたところは陸游の「舎北揺落景物殊佳偶作五首」と同名とのことでもっともである。パッと見「落」には見えないのだが、たしかに落でいいような気がしてきた……。[寄][隠]はどうだろう。いずれにせよ皆様のおかげでだんだんピントが合ってきた感じがする。深謝です。

おおざっぱに五山の書斎である五山堂から見える風景を嘆賞しているということでいいと思うが、富士川英郎『江戸後期の詩人たち』(麥書房、一九六五年)によれば五山堂は以下のような質素な佇まいだった。

《中年から晩年にかけての五山は本郷一丁目あたりに住んで、徒弟に詩を教えながら暮らしていた。しかし、その五山堂は大窪詩仏の詩聖堂のような派手なものではなかったらしい。彼自身、『五山堂詩話』巻一で、「余貧にして書を貯ること能わず。偶ま購い得しもの有るも、早く已に羽化し去れり。筐中、集五部を留むるのみ。一は白香山、一は李義山、一は王半山、一は曾茶山、一は元遺山、此を外にして有るなし。因て五山を以て、堂に名づく。》

富士川はさらに森銑三「酔桃庵雑筆と無可有郷」から鈴木桃野『酔桃庵雑筆』を引用している。そこにはこのように書かれているそうである。

《五山がり行きたれども、これもよくもてなさず。且つ五山が家は甚だ不雅なりとて、こちらより見限りて行かずといへり。其故はいかにと問ふに、入口に額もなく、床に懸物もなく、机上に文房、内宝もなし。木地呂色の硯箱に筆墨一揃へ入れたるが、唐机の上に一つあるのみ。談話もまた一通りの言にみにて、持て行きたる詩草も、口のほど一二首読みたるままで彼机上に差し置きて、異日来ます時迄に見置くべしといひたるばかり、詩の談話もなし。かかる人の所へ行きたりとて何の益あらんといひてけり。これにて思ふに、京坂の人は風流なるやうなれども、金銀を取る事の上手なるを知れり。》

これは桃野が梅陀という頼山陽の門人だったという人物から聞いた話である。梅陀が江戸に出て来て山陽の勧めに従って江戸でナンバーワンの詩人、佐藤一斎と菊池五山を訪ねたところ、どちらにも冷たくあしらわれたという愚痴なのだった。愚痴であっても書斎の様子が伝え残されたというのだからお手柄であろう。

簡素な五山堂で《木地呂色の硯箱に筆墨一揃》を用いてこの漢詩を揮毫した……そう思うと見え方も少し変ってくるような気がする。

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by sumus2013 | 2016-05-08 22:07 | うどん県あれこれ | Comments(3)
Commented at 2016-10-01 00:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by epokhe at 2016-10-01 01:15 x
先ほど非公開コメントしました。解読を試みましたので参考にして下さい。
Commented by sumus2013 at 2016-10-01 08:41
御教示に深謝です。お時間とらせました。大変参考になりました。
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