林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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稱心獨語

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『渡邊一夫/装幀・画戯/集成』(一枚の繪、一九八二年六月一〇日)のちらしを頂戴した。深謝です。これまで渡邊一夫の装幀本はかなりの数を紹介してきたが、改めて調べてみるとこの集成そのものは紹介していなかった。

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本日紹介しようかとも思ったが、カンタンには言及したくないのでいずれそのうち。上のちらし、裏面は白で何も印刷されていない。

ちらしと同時に渡邊一夫の装幀本、加藤周一『稱心獨語』(新潮社、一九七二年九月三〇日、装幀=渡辺一夫)も恵投いただいた。渡邊本はある程度架蔵しているのだが(『書影の森 筑摩書房の装幀1940-2015』にも架蔵本を利用した)、これはまだ入手できていなかったので嬉しい。

緑が函、黒っぽいのが本体の表紙。四つ目綴じに見えるのは模様である。角背、地券表紙(セミハード・カバー)。

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加藤周一『稱心獨語』を本占いのようにあてもなくパラッと開いてみた。せっかくだからどこか本文を引用しようかと思ったのだ。開いたのは「日本語 I」というエッセイの二頁目だった。日本語では主語を省くことが多いことについて考察している。主語を省く日本人は「主語・主体・自我を意識することが少ない」というのは正しいだろうか? と疑問を投げかける。

続いてチョムスキーの『デカルト的言語学』の一部を引用する。

《たとえば「眼にみえぬ神が、眼に見える世界を創った」という文章(甲)は、実は、次の三つの文章(乙)から成る。すなわち「神は眼に見えぬ」「神は世界を創った」「世界は眼にみえる」ーー。
 チョムスキー氏は、この文章(甲)を言語の「浅い構造」と名づけ、文章(乙)を「深い構造」と名づける。

「深い構造」は、すなわち人間の思想の構造にほかならず、言語によってちがわない。それが「ポール・ロワイヤール文法」の考え方である。「深い構造」の普遍性は「証明されたものではない。しかし今日の言語学的知識で否定すべき理由はない」とチョムスキー氏はいうのである。
 日本語の文章に主語がはぶかれることが多いというのは、「浅い構造」についての話である。そのことがただちに「深い構造」でも主語がはぶかれている、ということを意味するのではない。

という理由でもって日本人が会話に主語をはぶくことが多いから主体を意識することが少ない、というすべての議論は、誤っていると加藤は結論する。しかし、この例文(甲)は日本人であっても主語を省きようがないわけだから、何の証明にもなっていないような気がするのだが?

これに続いてカミュの言葉を引いてくる。

《私はアルベール・カミュ氏に生前一度だけ会ったことがある。それはガリマール書店の事務室でのことであった。何を話したのかもうほとんど忘れてしまったが、小説についての一語だけは覚えている。「なぜ小説を書くかって? 小説だけが翻訳の可能な形式だからですよ」。私はこの意見に賛成する。》

そうなのかな……。

《アドルノの論文集のなかには、ヴァレリーの美術館についての実に美しい文章が独訳で引用されているところがある。独訳は仏語の原文の味を充分に伝えている。私はたわむれにその和訳を考え、それが途方もなく困難な事業であることをあらためて感じた。
 小説ならば、少なくとも話のすじを訳することができる……》

そんな、馬鹿な。プルーストの小説が和訳しやすくてヴァレリーのエッセイが難しいということはないだろう。ちょっとがっかり。



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by sumus2013 | 2016-05-03 20:00 | 古書日録 | Comments(0)
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