林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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その姿の消し方

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堀江敏幸『その姿の消し方』(新潮社、二〇一六年一月三〇日、装幀=新潮社装幀室)読了。堀江氏の作品はかなり前に一度紹介したことがある。そのころ何作か次々に読んだのだ。

堀江敏幸『おばらばん』(青土社、一九九八年)

今回は某氏の勧めもあって久しぶりの堀江本。プルーストの後のナイトキャップとして読んでいた。始まり方がいい。グッと引き込まれる。

《フランス西南部の内陸寄りにあるM市を私が訪れたのは、留学生の頃に古物市で偶然入手した、一枚の古い絵はがきがきっかけだった。

《古物の世界では、詳細不明がひとつの価値になることもある。ただし、求める者がいての話だ。どんな稀少でも、それを欲する人間がいなければモノはモノとして成り立たない。幸いにも蒐集家と呼ばれる人種はいたるところにいて、もちろん絵はがきの分野にもいた。》

《そのとき私が必要としていたのはまったくべつの主題だったのだが、奇妙な建物のたたずまいに惹かれて、言い値で買った。
 ところが家に戻って眺めているうち、私の目はその建物の写真ではなく、裏側の通信欄の、几帳面な、しかしすらすらとは判読できない筆記体で書かれた文面のほうに吸い寄せられていったのである。そこには親密な言葉のやりとりではなく、ひどく抽象度の高い言葉の塊が、ぴったり十行に収まる詩篇のような形式で記されていた。差出人はアンドレ・L。住所はない。名宛人は、北仏の工業都市に住む、ナタリー・ドゥパルドンという名の女性である。消印は一九三八年六月一五日だったから、手に入れた時点でもう半世紀以上の時間が経っていたことになる。》

ここから「私」の「アンドレ・L」探しが始まる。古本者としては読みどころである。なんと絵葉書に書かれた詩の作者の正体を探し当てる。肖像写真も見つかり、ついには本人を知っていたという人物に会い、その周辺の人たちと親しくなるまでに進展する。肖像写真を見つけてくれた古本屋とのやり取りがじつにいいなあ……フランス人の描き方はさすがにうまい。ただ詩の解釈に拘泥するあたりになってくると読み心地が鈍ってしまうのは単に詩心がこちらにないせいか。

なかに少し調子の違った物語「始めなかったことを終えること」が挿入されていて、これがたいへん良かった。留学生時代に通った古書店が閉店する話。面白い(要するに古物か古本が出てくればよろしい!)。

《他のどんな店にも置かれていない現代小説がそこでは著者名のアルファベット順に整理され、背表紙を見るだけでも勉強になったのだが、とくに昂奮したのは古い地下貯蔵庫に積まれていた値付け前の文芸書の山だった。ところがその懐かしい店の飾り窓に、真赤な文字で大きく閉店セール書かれた貼り紙が出ていたのである。あわてて中に入ってみると、地下に降りる階段は封鎖され、通りに面した一階の、すかすかに間引かれた棚には、読むというより見せるための豪華なアルバムしか残っていなかった。》

この店には特別な思い入れがあった。湾岸戦争の時期に留学していた「私」は翻訳のアルバイトで日本の原子力発電所から出た使用済み核燃料に関する書類を仏訳する仕事をした。文中には明示されてはいないが、それは例のアレバ社の仕事だったようだ。

《要するに、このアルバイトで得た印象のあまりよくない報酬を、私は先の古本屋でただちに「洗った」のである。ふだんは手を出さない価格のものまで目を引いたタイトルはどんどん抜き取り、二巡三巡して築いた本の山を抱えて狭い階段を往復し、レジのおばさんに預けると、彼女は驚きも呆れもせず、いつものとおりに合計金額を算出した。ぜんぶで百十二冊。これが一度の購入冊数の最高記録となった。そのとき棚からごっそり抜いたジャン・ケロールの本のいくつかはいまも手もとにある。》

無名の作家に対する眼差し。自分だけが知っている作家を持ちたいという欲望は文学数寄なら誰でも覚えるものだろう。そういう堀江氏の態度は以前から変らないと思うが、今回はマイナーもマイナー、著書がないというような無名レベルではなく詩人かどうかさえも分らない書き手に迫る。職業は会計検査官だそうだ。その意味では本書は小説やエッセイというよりも究極の文芸評論だということもできるかもしれないし、あるいはもしこれらがすべて虚構だったなら、それはそれで小説として成功したと考えてもいいのかもしれない。

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by sumus2013 | 2016-04-03 21:12 | おすすめ本棚 | Comments(1)
Commented by こがね丸 at 2016-04-06 20:13 x
堀江敏幸さんは『雪沼とその周辺』からファンになり、読み続けてきましたが、ここ数年ちょっと退屈になり、離れていました。『雪沼・・・』にまとめられた短編は、場所も人も、仕事も、どれもがまさに「その周辺」というものを描いていて、味わい深いものでした。近作はおもしろそうですね。ご紹介ありがとうございます。早速読んでみることにします。
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