林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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出京する文学

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『伊藤整作品集 V』(河出書房、一九五三年一月三〇日、装幀=花森安治)。花森安治の装幀のなかでも好きな装幀のひとつ。戦前のバウハウスあたりからの影響を感じさせつつも花森の持味をよく出している。これ以前にも四角形を使った装幀にはこんなものがあった。

『歴史日本』第一巻第五号

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伊藤整を今さら読むつもりはなかったのだが、とにかく適当にパサリと開いてみた。すると《伊藤家の屋敷は約千坪ぐらいの広さである》という文章が目にとまって、おや、と思い続きを読んでみるとこんなことが書いてあった。

《その広大は屋敷が、実は広大でも何でもないことを証明しよう。》

《日本人の約八割は農業に従事していて、その農民のうち八割は四五人の家族がやつと生活できる最低限の土地を所有している。その最も小さな農地の標準は三段歩、即ち千坪であり、三分の二エーカーである。》

なるほど、たしかにそういう時代だったのだ。近代史における農民的思考を軽視できないわけである。それはともかく伊藤は第二次世界大戦中に都心に住んで食糧難に苦しんだ。『得能五郎の生活と意見』などの印税を専ら貯蓄し謹厳節約につとめ戦禍に追われて田舎へ避難する直前に心がけよく三段歩の雑木林を《関東平野の西の端》に手に入れたのだそうだ。

ここで伊藤は津島修治、井伏鱒二、徳廣巌城、外村繁、尾崎一雄、亀井勝一ら富豪の家に生まれた作家たちを数え上げた後、こう続ける。

《僅かに伊藤氏の勤倹貯蓄生活に比較される美談は、小田原から箱根までテンビンで魚を行商する間に貯金し、その金でもつて小田原の海岸に二畳間の独立家屋を建築した川崎家の二男坊の勤勉努力主義による立身出世美談のみであろうか。》

とここを読んで、届いたばかりの『scripta』no.39(紀伊國屋書店、二〇一六年四月一日)を引き寄せた。そこに連載されている平出隆「私のティーアガルテン行 第19回 物置小屋を世界へ」に川崎長太郎の小屋が出ていたのである。こんな偶然もある。

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平出氏によれば

《戦前から戦後にかけての二十年、川崎長太郎は故郷小田原の海辺の物置小屋に住み、小説を書きつづけた。弟に譲った実家の魚商がもつ、漁具を納めるためのトタン板囲いの掘立小屋だった。東京での小説家としての生活を諦めながらの、それは一筋の道を貫こうという「背水の陣」であった。自筆年譜によれば一九三八年七月、「永住の覚悟で小田原へ引揚げ、物置小屋へ以後に十年起伏する身の上となる」。》

だそうである。伊藤整のいい加減な記述ぶりはいただけないとしても両者における「東京」から離れることの意味については考えさせられる。岡崎氏の「上京する文學」にならえば「出京する文学」とでも言えようか。



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by sumus2013 | 2016-03-29 21:09 | 古書日録 | Comments(0)
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