林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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爐邊坐煖

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篠崎三島(応道)の漢詩マクリを入手した。

(印=中聖人)
 爐邊坐煖見蘆灰
 尺簡時迎雲物来
 為是回人供茗酒
 江橋南度訪寒梅

  長屋夜回諸君飲
  濱田詞兄
       応道[印=篠氏応道][印=応道印]


篠崎三島(1737-1813)は先日紹介した篠崎小竹の養父。大阪の人。名は応道、字は安道、通称長兵衛。商家を継ぎながら片山北海、菅甘谷に徂徠学を学び、四十にして家塾梅花社を開いたという。

ところで小竹は《大塩平八郎とも養父・三島に初読を習った弟子である関係で交流があった》とウィキ(篠崎小竹)にあるのだが、幸田成友『大塩平八郎』(中公文庫、一九七七年)を開いてみると中斎(大塩平八郎)の研学についてはこう書かれている。

《中斎の当初の師は何人であるか。越智高洲である、篠崎三島(小竹の父)である、いや鈴木撫泉であるというが、いずれも確証はない。》

このくだりが面白くてもう少し読んで行くと中斎の蔵書について次のようにあった。大塩家は大人数の所帯で決して暮らし向きは楽ではなかったらしい。

《懇意の書林河内屋吉兵衛が持参した石刻の顔真卿の一軸を買いたくありながら金子の才覚がつかず、大小を質物にして得た金二両をまず差し出すにつき、残金は来春まで待ってくれよという吉兵衛宛の手紙は、よくこの間の事情を明らかにするものと思う。》

《それから挙兵前に所有の書籍を鬻[ひさ]いで貧民に壱朱宛を施し、その金額総計六百両に上ったといえば、多数の蔵書があったわけであるが、その大部分は兵庫西出町の家持柴屋長太夫が金を出したものらしく、天保三年同人入門以来同八年正月に至るまでに、書籍代として金二百両銀十二貫六百目余を貢いだとある。》

顔真卿の一軸が単純に高額だったのかなと思わなくもないが奉行組与力の家がそう豊かでなかったとしても不思議ではなかろう。

また小竹は大塩平八郎が乱を起こした後で坂本鉉之助に向かってこう言ったそうだ。

中斎の学問筋は己が心より思ひ付くことを皆良より出ずると思い、次第に驕慢に傾いたは、丁度某富商が茶道に耽り、だんだん高価な茶器を求め、名物の茶碗一箇を抱いてついにその家を滅ぼしたようなものだ

これを聞いて坂本鉉之助は中斎の頭を押さえようとしなかったあなたにも責任があるんじゃないですかと返したということである。これは現在のわれわれもよくよく心しておかなければならないことではないか。




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by sumus2013 | 2016-03-26 21:37 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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