林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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画人蕪村

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河東碧梧桐『画人蕪村』(一九三〇年六月一〇日三版、中央美術社)が格安で出ていたので買ってしまう。題字はむろん碧梧桐。先日の展示会を見て以来なんとか碧梧桐に関するものをと思っていたが、手始めはこのくらいの古本から。

本書には与謝蕪村ついての詳細な論考あり、青年蕪村が主人公の小説あり、蕪村作品を入手した経緯をつづる随筆あり、と碧梧桐思うがままの編集。著者の蕪村に対する執着がよく伝わってくる内容である。蕪村研究書としても早い時期のもののようで『与謝蕪村 翔けめぐる創意』展図録(MIHO MUSEUM、二〇〇八年)に掲載される参考文献リスト(刊行年順)ではトップに置かれている。

ここでは与謝蕪村の讃岐時代に関するところだけを紹介しておく。蕪村は明和三年(一七六六、数え歳五十一)春第一回の渡讃をした(望月宗[ママ、宋]屋追善集『香世界』)。同年冬から翌四年春へかけて二度目の讃岐滞在(望月武然の歳旦帖『春慶引』および『香世界』)。一旦京に戻り、明和五年春ふたたび出遊した。これが三度目。ただしMIHOの図録の年譜では明和三年秋讃岐地方へ赴くとあり、四年に宋屋一周忌のために京都に戻って、ふたたび讃岐へ。五年四月帰京としている。

《翌五年丸亀妙法寺に滞留してゐたやうである。讃岐は丸亀以外主として高松、琴平の知人の許に寄食してゐた。左様に頻繁に往来してゐたにも関らず、其の遺作は可なりに纏つてゐる。》

どうして讃岐へ渡ったのかという疑問に対して碧梧桐は次のように推測している。

望月武然は望月宋屋の弟子であった。武然には讃岐琴平に弟子がいた。宋屋と蕪村はともに巴人の弟子であった。武然を通じて讃岐の俳人(暮牛、文路、鯉人、柱山)たちと知り合った。

琴平には琴平七軒という富家があり、いずれもかつて菩提寺は丸亀妙法寺だったという。そのなかの菅氏に暮牛が、荒川氏に文路がつながるのだと古老から聞き取っている。蕪村が滞在した高松の三倉屋も彼らの縁故であろうという。また《西讃に客して東讃の懶仙翁に申おくる》と前書きのある俳句が発見されているところから東讃へも足を伸ばしたかと思われる。

  東へもむく磁石あり蝸牛

ただ望月宋屋が巴人の弟子だったのかどうか、今ここでははっきりさせることができない。下記サイトでは望月宗屋を巴人門とし『香世界』の望月宋屋は原松門としてある。

江戸時代俳人一覧

MIHO図録では宋屋が早く結城や江戸に滞在していた蕪村(まだ三十歳の頃)を訪ねたとしているから若い頃からの知り合いだったのだろうし一周忌にわざわざ帰京していることからしてかなり親しい間柄だった。

もう一つ、ひとしお興味深いのは碧梧桐の掘り出し話。

《琴平の荒川翁の懐旧談によると、琴平の栗屋といふ旧家で、五月節句の三反幟(三丈の反物二つを合せた幟)に、朱で鍾馗を書いたのが蕪村だといふことだつた。正面きつて立つた素晴らしい鍾馗だつた。後に森寛斎が来た時、伊勢屋といふのが、又た三反幟に朱で鍾馗をかいてもらつた。一時琴平での二本の名物幟であつたが、後に蕪村のは日覆になり、寛斎のは火燵蒲団の裏になつてゐた、といふ。》

まだこんな思い出が語られるような時代だったが、ある日、高松の高瀬屋こと厨司某が碧梧桐を訪ねて来た。昂奮した手つきで新聞に巻いたものを開いて見せた。

《何といふ精彩な筆なのだ。筆数も少い紙本の墨画ーー顔面其他に僅かに着色をして居るがーーではあるが、単に一時の即興でなぐりつけたものでなくて、十分な用意と、余裕のある準備をもつてかゝつた、言はゞ謹厳な作なのだ。》

《私はもう人の囁くのを待たないで、自分で自分に叫んだ。蕪村! 蕪村! 蕪村稀代の大作!》

それは「寒山拾得」を描いた横長の秀作で、それまで全く世間から忘却されていたものだという。

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《出所としてわかつてゐる唯一の事実は、高松から東にあたる某寺に保存されてゐた、といふだけである。昨夕何らの予告もなしに、真に突然に売りに来たのであつた。
 衝立か、壁紙にでも貼りつけてあつたのを、めくつて久しくしまひこんでおいた証拠には、横に二筋、縦に一筋、著るしい折目がついてゐる。》

《其後京都の表具屋に一見せしめた時、其の裏打ちをした厚紙なり、其の古びさから言つて、裏打ちしたのも、既に六七十年経つてゐると言つた。折目は裏打をしない前につけたのであるから、少なくも百年前後、どこか筐底に押し籠められてゐたと想像すべきである。》

またその数ヶ月前、播州龍野の知人宅で蕪村に関する蔵幅を見せてもらっていたとき久しく掛けっぱなしの煤けた小額面が蕪村の讃岐出立をするときの手紙だということに気づいて驚喜していた。

《……今明日斗之讃州と存候得は山川雲物共にはれを催す事に御座候……》

そしてそこへ「寒山拾得」の出現である。

《蕪村の霊感も余りに迷信的な言ひ分であるが、偶然なこの二つの奇縁は、更に第三の奇縁を生むのでないかの予感をも持たしめる。》

古本は古本を呼ぶ、古画もまた古画を呼ぶのだろうか。


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by sumus2013 | 2016-02-25 21:01 | うどん県あれこれ | Comments(0)
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