林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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未乾の一生

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富士正晴の絵について話をするために榊原紫峰を調べていると船川未乾が登場した。富士正晴『榊原紫峰』(朝日新聞社、一九八五年)に竹内勝太郎と親友だった船川未乾の履歴が載っていたのである。船川については他にあまり情報がないのでここでその要点だけを引用しておく。

上の絵は『PANTHÉON VI』(第一書房、一九二八年四月三日)、船川未乾の特集号より。いずれの図版にも題名はない。

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《船川未乾は本名貞之輔〔貞之助〕、明治十九年〔紫峰より一つ上〕京都市宇治〔京都室町頭〕に旧宮侍の家の〔堂上公卿日野家の家老船川仲(なかつかさ)〕、生まれて間もなく一家をあげて東上。東京太平洋画会に学び、後〔大正三年〕、京都に帰ってからは南禅寺北ノ坊町に居を構えた。》

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・大正四年五月、寺町竹屋町の佐々木文具店楼上で小さな個展を開く(船川貞之輔展覧会)。大正四年、京都大学学生会館にて個展。

・すしやのいづうの娘咲子と結婚。知恩院山内樹昌庵に住む。

・大正五年七月の大阪毎日新聞の「画堂の人」に談話が載る。

・大正六年、ロシヤ行きのために「船川未乾油絵会」を計画したが旅費は調達できなかった。

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・第二回個人展を京都帝大学生集会所で開く。深田康算、朝永三十郎らが後援。このころ同志社大学教授園頼三との交友が始まった。詩画集『自己陶酔』(大正八年)、『蒼空』(大正九年)出る。尾関岩二と知り合う。

・大正十一年、京都商業会議所にて個展。

・大正十一年咲子夫人と渡仏。アンドレ・ロートに学び、ピカソ、ブラック、ブラマンク、ビッシェール、ジムミー等と交遊。ブラックの影響を強く受けて大正十二年に帰国。以後静物画に専念した。鹿ヶ谷法然院の西にアトリエを建てる。

・昭和二年、東京丸善にて個展。第一書房主・長谷川巳之吉の知遇を得る。

・昭和三年、大阪丸善にて個展。

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・装幀では、尾関岩二『お話しのなる樹』(創元社、一九二七年)、園頼三『怪奇美の誕生』(創元社、一九二七年)、関口次郎『からす』(創元社、一九二七年)、竹内勝太郎『室内』(創元社、一九二八年)など。

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・フランスから将来したエッチング機械による創作版画に新機軸を生み、尾関岩二との協同による『イソップ画集』百枚を企画したが、数枚を制作しただけで宿病のために斃れた。

・昭和五年四月九日午後七時死亡。十二日、自宅画室にて告別式、花山火葬場にて火葬。葬儀は榊原紫峰を葬儀委員長として盛大に営まれ戒名「龍光院未乾昭道居士」として百万遍墓地の一角に納められた。

・船川の作品は矢部良策。伊藤長造、伊藤熊三、薄田泣菫らが所蔵。北白川宮家に大作が買い上げられた。

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以上は昭和四十一年、未乾の墓を京都市左京区百万遍養源院に建立するための趣意書および竹内勝太郎の書いた未乾論「静物讃」などから富士がまとめたものをさらに短く引用した。

竹内勝太郎は未乾の歿後、その遺言に従って回顧展の開催と画集の発行を企てたが、いずれも実現しなかった。それについて富士はこのように書いている。

《ここまで読んでくれば、未乾には彼の画業を大いに認めている学者、文学者、出版者、その他の本気の知人友人が多く、その画集出版や画展が行われることも時日の問題にすぎぬと思われて当然である。しかし、これらの好条件と思われることが揃っているにもかかわらず、彼の死後現在まで(一九三〇〜一九八四)五十四年たつというのに、遂に画集は出ず、回顧展も一回も行われずにきた。》

《どうも未乾を知っている人で今生きている人は第一書房の長谷川巳之吉、英文学者寿岳文章の二方ぐらいしかわたしには思い当たらない。関口次郎[戯曲家、朝日新聞記者]もすでにいないわけで、未乾の画集、回顧展が不発に終っている理由が疑問であるという外ない。》

《未乾未亡人が友人らを疑って、作品をかくしてしまい、行方をくらましたのだという噂、未乾の家を売ってしまうためにうろうろしていたという港井清七朗[未乾の甥]の手紙、実は獅子文六と同棲していたのだが、まだ公にするわけにはゆかぬがねという関口次郎よりの手紙。とにかく、墓の除幕式の時の未亡人は坂崎咲子であったという。芸術まで葬ったか。》

もうこうなったら後は星野画廊さんのような人を待つしかないか……

船川未乾「南仏風景」


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by sumus2013 | 2016-02-18 20:24 | 雲遅空想美術館 | Comments(0)
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