林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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ショパンの肖像

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『日佛藝術』第二十七号(日佛藝術社、一九二七年八月一日)。標題の字は中村不折だろう。河東碧梧桐にあの特徴的な六朝風の書体を示唆したのは不折だという。日佛藝術社は黒田鵬心が三越を退社して(一九一八年よりPR誌『三越』を編集していた)フランス人の画商デルスニスとともに一九二四年に設立した。フランス美術の紹介、作品販売を行った。しかし経営が大胆過ぎたようで早くも一九三一年には解散している。

表紙には東京(日本橋三共ビル)とパリ(73, RUE NOTRE DAME-DES-CHAMPS)の住所が記されている。このノートルダム・デ・シャン通りというのはモンパルナス、ヴァヴァンの近くで昨年の滞在時にも頻繁に通ったところ。

パラパラッとめくっていると児島喜久雄の「ショパンの肖像」という文章が目に留まった。というのはついこの間、ショパンのCDを買ったばかりだったから。アシュケナージの「FAVOURITE CHOPIN」(1983, The Decca Record)。収録されている演奏は一九七五年から八〇年にわたって行われたもの。ショパンのモダンさがよく分る演奏のような気がした。

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児島はショパンとドラクロワの親交の様子をドラクロワの日記から拾いながら説明している。

《ドラクロワがジヨオルジ・サンドと交際し初めたのは何年頃だか分らないけれども、有名な男装の肖像は既に一八三三年に描かれて居るのだから、其時よりも相当前からのことに違ひない。従つて、彼がシヨパンを知るやうになつたのもジヨオルジ・サンドが一八三七年リストの紹介によつてオテル・ド・フランスで初めてシヨパンに遇つた時から遠くないことゝおもはれる。ドラクロワはそれ以来、シヨパンと深い交りを結んで死ぬ迄変らなかつた。

《一八三八年の七月八月頃にはシヨパンは屢々リウ・デ・マレイ・サン・ジエルマン十七のドラクロワの画室を訪ねてピアノを弾いたらしい。ドラクロワは其為にプレイエールのピアノを借りて居た。》

《[一八四七]六月一日には三時にシヨパンのところの会合に出た。「彼の演奏は非常だつた。誰かゞ彼のトリオを弾いた.其後で彼自身夫を弾いた。素晴らしい演奏だつた』》

ジヨオルジ・サンドとシヨパンの関係が断絶した翌々年一八四九年の一月二十九日の晩には、シヨパンを訪ねて十時まで話して居た。『実に立派な人間である。吾々はマダム・サンドの事を話した。あの奇怪な運命を背負つて居る女、善と悪との混合した性格について話した。》《自分がマダム、サンドの晩年は不幸だらうと言つたら、シヨパンは反対だつた。彼女の友人達が非難するやうな事も彼女の良心は一向咎めない。彼女は丈夫だから長生するだらう。彼女の感情を深く動かし得る唯一の事柄はモーリスが死ぬか又はやくざ者になつた場合だけであると云つた。》

モーリスはサンドの子でドラクロワの弟子だった。

《[一八四九年四月]十四日の晩にもシヨパンを訪ねた。ショヨパンは非常に元気が無く苦しさうだつた。暫く話して居るうちに段々回復して来た。シヨパンはアンニユイが一番耐へ難い苦痛だと言つた。ドラクロワはシヨパンに自分は時々堪らない空虚を感じることがあるけれども、君は之迄そんなことはなかつたかと尋ねた。シヨパンは自分はさういふ時はいつも何かしら為て居るやうにして居た。つまらないことでも為て居れば時間が潰れて気が紛れて行く。然し悲哀はまた別のものであると言つた。》

《十月二十日昼食の後で、シヨパンの死んだ知らせを受けた。『不思議だ。今朝床を離れる前自分は其考に襲はれて居た。かういふ予感に出遭つたのは之で数回になる。何といふ損失だ。此美しい魂が亡びて行くのに下劣な奴等が場塞げをして居るとは!』》

ショパンの死んだのは十月十七日早朝だった。

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《ルーヴルには尚リースネエルの寄贈にかゝるドラクロワのシヨパンの顔だけの素描もある(挿絵参照[本誌の挿絵はモノクロ、上はネット上より])。黄色い紙に鉛筆で描いて光の部分を白絵具で塗つた〇、二七米突に〇、二一米突大の丁寧な写生である。》


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by sumus2013 | 2016-01-31 20:49 | 古書日録 | Comments(0)
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