林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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豆本

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豆本が相次いで届いた。中央が『えちぜん豆本だより1』(越前豆本の会、一九六四年九月、表紙=笠松一夫)、右が『横田順彌豆本傑作選 飛行機小説集』(書肆盛林堂、二〇一五年一二月一日、装画=岩澤佐合)。左は大きさの比較のために並べた岩波文庫。

『えちぜん豆本だより1』に今村秀太郎が次のように書いている。

《北の「えぞまめほん」南の「九州豆本」お江戸には「風流豆本」青森に「青森豆本」酒田に「みちのく豆本」島根には「山陰豆本」新潟に「越後豆本」誕生と、ひと頃豆本黄金時代を築いたものでしたが「えぞ」は37冊の歴史を残し、主宰者の佐藤翁逝去のため廃刊「九州」は24冊と別冊1を出したあと版元病気のため終刊の挨拶が出ました。「山陰」も一、二号を出したまま「風流豆本」また、多忙を理由に12冊を出して休刊の始末。
 かかる折「越前豆本」の誕生を見たことは、誠に喜ばしい限りであります。》

同じく掲載の武井武雄の文章によれば青森豆本は続いているがこれはさとう・よねじろう氏個人の作品集で聊か性格を異にしている》とのこと。佐藤翁は佐藤与四郎。

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これもたまたまだが、市島春城『春城閑話』(健文社、一九三六年二月一五日)を読んでいると「豆本蒐集談」という文章に行き当たった。その徹底した蒐集ぶりに驚かされる。

《私は公私の為め十万に近い書物をこれ迄蒐集した。性来書物が好きで、今でも毎日書物漁りを日課のやうにしてゐる。大正七年にフトした思ひつきから、小さな本を寄せ集める事を始めた。その動機は二三珍らしい最小形の本が手に入つたので聊か興味を覚え、それが病みつきとなつた。》

《支那では巾箱本といふと小さな本を意味してをるが、可なり大きいものもある。寸珍本、袖珍本、皆な小さな本のことであるが、寸尺に制限がない。》《唯だ俗に豆本というてゐるのが最も小形のものを意味してゐる、即ち普通竪二寸位若しくはそれ以下のもので無ければ豆本とは申さぬ。西洋でも誰も知る通り「ポケット・ブック」と申せば小形の本であるけれども、これは日本の袖珍本と同じ様に最小の本とは限らず、最小の本に対しては別に名がある、「ビジョウ・ブック」といふのがそれである。即ち吾邦の豆本が「ビジョウ・ブック」に当るでせう。

二寸以下が豆本とすれば上の二冊はともに三寸以上(『え』が10cm、『横』は10.5cm)あるので豆本ではないということになってしまう。しかし安心されたし。

《私は定尺を豆本より大きく極めた。即ち竪三寸五分幅二寸五分のものを蒐集の標尺とした。》

結局、春城は千五百種(三千冊超)を蒐集したという。そのうち定尺より小さいもの二百種。ただし版本ばかりでなく書画帖の類いも含む。始めて三、四十種までは容易だった。それ以上となるとナカナカはかどらない。百種を集めるのにかなり苦労した。しかし豆本蒐集のことが書肆に知れると書肆の方から持ち込んできたり、また人をやって大阪、名古屋、金澤までも捜索させた。そんなことで三百種はすぐに達し、五百種になったころにはもうやめようかと思ったが、極点まで行けと千種を目指した。千種までにおよそ三年かかった。さらに自分自身で百種ばかりの小本も作った。

春城は続けて豆本を作る動機や佳き豆本とはどういうものかを箇条書きにして定義しているが、それはくだくだしいので省く。結論としては《要するに、小本に喜ばるべき条件は即ち大本に喜ばるゝ条件で、形に大小の別があるだけの事だ》……ということらしい。



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by sumus2013 | 2015-12-20 20:07 | 古書日録 | Comments(0)
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