林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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串田孫一 生誕100周年

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はけの森美術館

串田孫一生誕100周年だそうだ。それを記念して来年一月まで開催されている。歿年は二〇〇五。九十歳に四ヶ月ほど足りなかった。二〇一二年には北のアルプ美術館に串田孫一の書斎が復元公開され、その記念展(開館二十周年)も行われた。それら二冊の図録を某氏より頂戴したので紹介しておく。

あるところで串田孫一の文章を絶賛する人と同席したことがある。あまりにその人が神様のように串田の文章をほめちぎったため、生来の天邪鬼から、それを聞いて以来、串田孫一の書物は敬遠していた。ただし装幀本は別である。これまでも何度か触れてきた。

有井泰ふたたび

庄野英二『ユングフラウの月』

矢崎源九郎訳『絵のない絵本』

装幀もいいし、絵もいい。もし串田を文筆家という範疇に入れるなら、文筆家の絵としては横綱クラス。プロフェッショナルな画家としても何ら問題はないだろう。ある意味うますぎるくらいだ。『串田孫一装幀集成』というような本は出ていないものかなと思ったりする。自分で作れ? いや、無理です。

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文章は読まないと決めた、けれどやはり本の話だとつい読んでしまう。『彷書月刊』(一九八八年一二月号)に寄せたエッセイは以前紹介したことがある。

串田孫一「焼跡での怒り」

ここでは同じく『彷書月刊』(一九八八年二月号)に載った「戦中の古書」を少しばかり引用しておこう。

《知らない町を歩いていても。古本屋があると素通り出来ず、店に入って書棚を見ないと気が済まないようになったのは、高等学校の頃からである。私の場合だと昭和八年頃ということになる》

それ以後古本屋には繁く通ったが、顔見知りになっても店の主人に話しかけられたり話しかけたりすることはほとんどなかった。ただ例外が一度あった。

《私はいろいろの方面の知識に飢えていて、一軒の店で方々の棚から傾向の異なる本を十数冊抜き出し、勘定をして貰うために台の上にそれを置くと、同業はお断りだと言われた。最初その意味がよく判らなかったが、同業者と間違えられるという大変名誉なことであったので、偶々持っていた上智大学講師の肩書のついている名刺を渡して了解して貰った。》

戦前の話だとしても同業者に本を売らないというのはちょっと驚き。串田が親しくなったのは持っていた山の本を全部引き取ってもらった神田の十字屋書店だった。このときその代金を店に預けておいて文学関係の本に換えていくという方法を取ったのだそうだ。

《それ以降、十字屋書店との付き合いが始まり、宮澤賢治全集をはじめ文芸書の出版を始めたこの店は私達のたまり場になり、『白羊宮』や雑誌『冬夏[とうげ]』、福永武彦君の『マルドロールの歌画集』、私の『萍』なども出して貰った。
 この酒井嘉七さんは戦争が次第に激しくなっていく昭和十九年に亡くなった。病院へ見舞っても痩せ衰えて行く彼に、元気づける言葉がなかった。そして十二月二十四日、四谷南寺町の西應寺で葬式があり、奥さんのハナさんの目を泣きはらしている顔をまともに見られなかったことを憶えている。》

『宮澤賢治全集』(十字屋書店、一九四〇年、装幀=高村光太郎)

一高時代には本郷のレストランや喫茶店のあらかたの店に入った。その中にペリカンもあった。レストラン・ペリカンへ行くのは普段と違う特別な気分のときだった。

《その後も私は上智大や腐乱後の夜学え出講しながら大学の研究所へ通ったが、レストランは古本屋に変わり、ペリカンの主人品川力さんとの付き合い方もおのずから変った。第一、彼がまだ可なりひどい吃音だと知っていても話をする必要が生じて来た。人間は話をしなくとも親しみを感じることが出来ても、話をして甫めてその親愛の度が証明されるものであることがはっきり判った。》

《空襲がひどくなって来ると、本など持っていても仕方がないと思う人が多く、その人達が売った本が神田、本郷、早稲田の古書店街に並び、しかも滅多に巡り合えない洋書が安い値段で出るようになった。
 ところがそんな時でも売る人がいれば欲しがる人もいて、うっかりしていると買われてしまうのでおちおちしていられず、一時期は自転車の荷台に石油箱を取付け、古本屋を走り廻った。》

しかし買った本はすべて戦火を受けて灰になった。家を焼かれてから串田は山形の雪深い農村(山形県新庄町)へ疎開した。

《本を焼かれてしまった私を心から同情してくれたのは品川さんであった。終戦または敗戦をはさんで一年半遠い農村にいる私に、本のリストを次々と送り、欲しい本を注文すると幾つもの小包にして実にまめに送って呉れた。しかも代金はいつでもいい、その点は心配しないようにと言って、近況報告の手紙も戴いた。》

このときの往復書簡は、品川宛串田書簡は日本近代文学館に寄付され(七十七通)、串田宛も大切に保存されている、と書かれている。戦中戦後の古書事情に関しての貴重な記録になるはずだが、さて串田宛品川書簡はどうなったのだろうか。

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by sumus2013 | 2015-11-25 17:14 | もよおしいろいろ | Comments(0)
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