林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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白紙

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ジャン・コクトオ『白紙』(堀口大学訳、斎藤書店、一九四八年九月五日新装発行、一九四七年七月二〇日初版)。先日、この元本について話題にしたところ早速某氏より恵送いただいた。深謝。一九三二年に第一書房から出た『白紙』を再刊したものである。第一書房にいた編集者伊藤禱一が戦後斎藤書店へ移っていたという関係から刊行されたのであろう。シレーヌ版にはないイラストが巻頭に収められている。

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元本を買ったときに少し読んでみようかと読み出したのだが、コクトーの凝った文体について行けず数頁で挫折した。今、大学訳にざっと目を通してみると非常に面白い。一九一九年『パリ・ミディ』紙に連載したコラムで文学・美術・音楽などにわたって当時の最新の、そして文字通りジャーナリスティックな話題を取り上げている。

冒頭はピエール・ルヴェルディが発案した雑誌にポール・ヴァレリが『文学 LITTÉRATURE』というタイトルを付けたことに対するやんわりとした批難。「白紙」という本書のタイトルはそのときコクトーが提案したものだった。Carte Blanche は正確には「白紙」ではなく「白紙委任(状)」、好きなようにしていいという許しのこと。

《處がポオル・ヴアレリイが、いささか微妙にすぎはしないかと思はれる意味を持つた文学(リテラチユウル)といふ標題を云ひ出して、遂にそれが採用されてしまつたのである。ヴエルレエヌも云つてゐるやうに、「余はすべて文学のみ」。不断から、詩は一種の練習であると公言してゐるポオル・ヴアレリイが、この標題を選んだことは至極尤なことではあるが、然しまたひるがへつて思ふに、何も若い者は必ず彼等の前のあらゆる階梯を飛び越ゆべきであり、また暴れ馬を競馬の馬と見まちがふべきであり、自分たちの前後に在る橋を悉く断ち切つてしまふべきだといふのではないけれど、然し雑誌文学をやつてゐる若い人々の仕事としては、もう少し何とかうるほひのある標題が欲しかつたやうな気もする。》

さすが堀口大学というべきか、日本語ふうな意訳の巧みさには感嘆する。

いささか微妙にすぎはしないかと思はれる意味を持つた文学
LITTÉRATURE pris dans un sens un peu subtil.

もう少し何とかうるほひのある標題が欲しかつたやうな気もする
on pouvait attendre … un titre moins sec

ひっかかったのは《詩は一種の練習である》という部分。

la poésie est un exercice

エグゼルシスはフランス語初学者には耳慣れた言葉で「練習(問題)」の意味である。しかし英語で言えばエクセサイズだから別にこれは「運動、体操」という意味も兼ね備えている。このエグゼルシスは「運動」と考えてもいいのではないだろうか?(ヴァレリーがそういった発言をしているのかどうか詳しい方に御教示いただきたいと思うのだが……) まあしかし文学と練習問題はたしかに至極もっともな関係であるような気もたしかにする。

『白紙』から興味深い内容をひとつ紹介しておくと、ランボーの肖像写真についてコクトーはこう述べている。

《今では実に珍奇なものとなつてしまつて幸運な数人の人々だけが所有してゐるあのカルジヤが写したラムボウの写真に就いても云ひ得る。この写真といふのはひどく色あせてゐる。濃淡が殆ど消えてしまつてゐる。幸いにも、ラムボウが大きな母音に彩色してゐるところを描いたカリカチュウルがあるので、それを参照して消えた陰影を補正することが出来る。といふのは、そのカリカチュウルが当時まだ新しかつたその写真によつて描かれたものであることが明らかだからだ。
 現在あるそのままで見ても、この写真は実に一種の奇蹟だ。ラムボオ[ママ]は、中学生のやうな、第一聖体拝受者の礼服のやうなカラをかけ、ネクタイをつけ、上着をきてゐる。実際は分厚な彼のあの下脣を噛んでゐるやうに見える。彼の両眼はまるで星のやうだ。彼の姿はさながら天使であり、霊魂を具体化したものの形のやうだ。
 いづれ、ランボオの崇拝者たちはこの写真を、近くN・R・Fから出る本の口絵として、手に入れることが出来ることになる筈だ。》

これは、これは。小生が(もちろん世界中の数多くのアーティストたちが)何度も描いてきたあの写真である。

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小林秀雄訳『地獄の季節』(白水社、一九三〇年)口絵。


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by sumus2013 | 2015-09-10 21:37 | 古書日録 | Comments(0)
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