林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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スタイルブック

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『スタイルブック』(衣裳研究所、一九四六年九月一〇日、デザイン・花森安治)久しぶりの花森本。神戸の古本屋でたまたま見つけたが、あまりに状態がいいのでつい買ってしまった。敗戦後一年、いかにも贅沢な仕立てではないだろうか。巻頭にいわく

《着るものは、たべもの、住むところ、と同じように、私たちが毎日暮してゆくために、無くてはならない大切なものです。
 だから着ものについて考へることは、私たちの暮しについて考へるといふことでなければなりません。私たちの毎日の暮しを、少しでも高め、明るくしてゆく、そのために役立つ着ものこそ、ほんとうに美しい着ものであり、そのことを一生けんめいに考へることが、とりもなほさず、ほんとの美しいおしやれだと思ひます。》

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『文藝別冊花森安治』(河出書房新社、二〇一一年)の年譜にはこう書かれている。

《昭和21年(1946)年 35歳
3月、花森を編集長、大橋鎭子を社長として銀座八丁目、日吉ビル三階に衣裳研究所を設立。5月に「スタイルブック」刊行。以後、9月に秋号、11月に冬号、翌年夏号と真夏号、計5冊を出す。》

また同書掲載の唐澤平吉×南陀楼綾繁対談「「花森安治の装釘」談義」で唐澤氏はこのように述べておられる。

南陀楼 昭和二十一年です。
唐澤 その一年前かな、大橋鎭子さんと花森が会うんですね。いっしょに衣裳研究所をつくって「スタイルブック」を出し、昭和二十三年九月「美しい暮しの手帖」の創刊にいたるわけです。しかし、そのころも他社の依頼をうけて装釘をやっています。このころの花森の立場は、まだ定まっていませんね。衣裳研究所では直線裁ちの服飾デザイナーで、服飾評論家としても活動していますし。まさにマルチ人間の面目躍如。だから、もし花森に「暮しの手帖」を出す構想がなければ、装釘家になったかもしれないし、服飾デザイナー、あるいはイラストレーターかコピーライターでめしを食うようになっていたかもしれませんね。

たしかに何になっていても不思議ではない才能だ。ただ、すべてひとりでできるなら……もうこれは雑誌を作るしかないようにも思える。戦前、戦中にやっていたように。

『みだしなみとくほん』

『婦人の生活』

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by sumus2013 | 2015-08-28 19:42 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by 唐澤平吉 at 2015-08-30 09:07 x
戦前戦中、花森の関与がうかがわれる出版は沢山あるのに、「編集花森安治」と明記したものがほとんど見あたらないのは、どこか奇妙ですね。憶測するに、やはり当時は編集者を「主義者」と疑う空気も濃くあって、用心深い性格の花森はあえて名を伏せたような気もしますが、名より実をとる関西的合理主義であったかもしれません。満を持し、万全を期して暮しの手帖を創刊した、そうとらえたほうが素直でしょうね。
Commented by sumus2013 at 2015-08-30 13:06
たしかにご指摘のような意味もあったのでしょうね。編集が自由にやりにくい(できない)時代だった。『婦人の生活』などで使っている変名は徳川時代の戯作者流アイロニーのようなものかなと思ったりします。
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