林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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漱石詩注

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吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波文庫、二〇〇二年)読了。戯れに漱石詩を墨書して読書用のカバーとしてみた。

漱石の漢詩、内容はたいして難しくはないけれど(小説と同じく表面はともかく底流は重く暗く息苦しい)文字遣いはやたら難しい。どうも五山あたりの漢詩群が漱石にとってひとつの目標になっていたらしく、室町時代に日本にやって来た中国人僧たち、およびそれらを直接模倣した日本人僧侶らの前衛性、抽象性に近いものを見る。ただ、本書は漱石の漢詩を読む本ではない。吉川の註を読むべき書である。吉川の漱石詩に対する感想は以下のようである。

《いわゆる日本漢文、日本漢詩では、断じてない。のちに述べるように、中国人で先生の詩を激賞するものがあるのは、何よりもそれを語る。》

《その正確さは、同時の職業的な漢詩漢文家のあるものよりも、むしろ上にあるとさえ見うける。ただその詩の語彙が、同時の職業的な漢詩人ほどに華麗でないのは、やむを得ぬことであった。また漢詩の成立に不可欠の要素である典故、classical allusion, その使用も、非専門家の限界をこえない。それらの点で、結局は素人の漢詩であるという要素をもつ。》

華麗でない」のは意図的であったろうと思う。典故についても一般的なものは極力避けているのではないか。これに続いて吉川は漱石の創作における漢詩の重要性(真剣に作詩したこと)およびその漢語の詩として、とりわけ思索者の詩としてすぐれていることを漱石詩の重要性として特筆する。そして五山の詩に触れる。

《もし過去の日本人の漢詩のうち、やや例外となるものを求めれば、足利時代、五山の僧徒の詩であろう。上引の池辺三山あての書簡が、国分青崖から借りてほしい書籍について、更に語をつぎ、「然らずば義堂絶海などの集、もし御あきならば拝借願度と存候」といっているのは、興味あることである。義堂周信、絶海中津、ともにいわゆる五山文学の秀才であり、やがて絶海中津の「蕉堅稿」は、先生の愛読書となって、「机上の蕉堅稿」の句を生む(一七五頁)。またもし江戸時代における例外を求めるならば、先生の書法に影響を与えたとおぼしい良寛上人の詩が、その一つかと、思われる。

漱石が良寛の書法を真似ていたとはこれまで考えたことがなかった。漱石の絵の師匠である津田青楓はまさに良寛もどきの字を書いているからその辺りからの影響もあったのだろうか。確かに、そう言われてみると良寛もどきの筆致も見えるが、あまりにすっきりし過ぎているようだ。漱石と良寛ではまったく違う(というか良寛みたいない人間、そうはいない)。だからこそ憧れたのかもしれないが(単に良寛文字の流行だったとも思える)。

《「はやく明治三十二年の「無題」に、「眼には識る東西の字、心には抱く古今の憂い」というように(八四頁)、強力な「二本足の学者」であり思索者であることが、その漢語の詩を、甚だ充実したものとした。つまり先生の漢詩は、局部的には職業詩人に比して素人であったけれども、もっとも大きな点では、かえってくろうとであった。》

《先生の漢詩は立派である。しかしその漢文が、もしずっと書きつづけられていたならば、一そう立派であったであろう。二十三歳の作「木屑録」は、房総旅行の記録であるが、日本人離れのした正確な漢語の措辞と、強烈な描写の意想が、写し難き景を、目前に在るがごとくに、写している。》《このすぐれた漢文、おそらくは明治時代の漢文としてもっともすぐれたものの一つを、この書物に収めることができなかったのは、残念である。》

玄人か素人かにこだわるね。それにしてもちょっと褒め過ぎという気もしないではない。明日以降、もう少し吉川の註について考えてみる。




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by sumus2013 | 2015-08-21 21:25 | 古書日録 | Comments(2)
Commented by yf at 2015-08-22 06:10 x
 小生はつい1年ほど前までNHKの教室で「篆刻」を勉強していた。題材は、もっぱら「漱石の漢詩」吉川幸次郎訳、しかしそれで右肩、右下歯を痛め、歯科医から「中止」をと、右下歯三本抜いて、「義歯」の厄介になる事になっています。歯科医は手放さず、今も治療中です。
 時々、自己流で彫っています。「雅印」の名前が沢山出来ました。湯川書房、湯川さんは、元の住まい「正雀」に掛けて「衰弱=水雀」になっていることはご存じだと思います。
Commented by sumus2013 at 2015-08-22 08:11
篆刻はどうしても根を詰めますからねえ。お大事になさってください。
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