林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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橄欖 第三号

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マン・レイ石原氏より『橄欖』第三号(瀧口修造研究会、二〇一五年七月一日、装幀=カヅミ書林)を頂戴した。深謝。本誌の詳細は石原氏のブログを参照されたし。表紙のマーメイド(色名はオリーヴ)が渋い。この上質紙は手触りもよく色数も多いので、昔はよく使ったが、最近はあまり採用していなかった。また使ってみよう。

瀧口修造研究会会報『橄欖』第3号


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石原氏は「まだ見ぬ二冊」と題して予告だけに終った瀧口修造の著書二冊『超現実主義絵画論』(第三書院)と『テクスト・シュルレアリスト』(ボン書店)にに自分史を投影させてまとめあげている。力作。最後に多摩美術大学図書館での予期せぬ邂逅が叙述されており「オオッ」と声が出た。

島敦彦氏は「下村淑子さんのこと 関西の瀧口修造展」と題して大阪の北画廊(一九六一)および神戸国際会館(一九六三)で開催された瀧口の個展について記しておられる。後者はこれまでの年譜には一切触れられていないというから妙なものである。北画廊での芳名帖には生田耕作の名前もあるそうだ。たしか生田は戦時中の瀧口について厳しく批判していたはず。それ以前のことだろうか。

と思って他の頁を開くと清家克久氏が「戦時下の瀧口修造 詩と評論を巡っての考察」として戦時中の瀧口の執筆活動とその事実に対する瀧口の戦後の態度がいかなるものであったかを説いておられた。生田が糾弾するほどの時局便乗ではなかったかもしれないが、やむなき体制協力者であったことは間違いないようだ。

もう一篇、土渕信彦氏の「瀧口修造の「オブジェの店」」も面白く読んだ。《「オブジェの店」をひらく構想は、計画倒れに終ることなく、実践されていたと考えられる。》とはさすがの着眼であろう。土渕氏が瀧口の墓に触れたくだりを引用しておく。

《翌年[一九八〇]には綾子夫人によって富山市大塚の瀧江寺に墓が建立された。墓石の表側に刻まれたのは、自身の筆跡による「瀧口修造」の四字、裏側には"Rrose Sélavy TOKYO"[TOKYOは肩付きの小文字]と生没年月日の「1903.12.7-1979.7.1」である。》

《八三年にティニー・デュシャンが来日した際、わざわざ墓参りに瀧江寺を訪れたという(「とやま」「とやま文学」四号、八六年三月)。裏面のサインを見たときの感慨には、深いものがあったことだろう。

土渕信彦のエッセイ「瀧口修造の箱舟」第6回

瀧口修造の墓

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by sumus2013 | 2015-07-05 20:36 | おすすめ本棚 | Comments(2)
Commented by manrayist at 2015-07-06 19:49 x
「橄欖」第3号 ご紹介いただきありがとうございます。また、愚稿に過分なお言葉を頂戴し、はずかしいばかりです。週末からの『やっぱり、本』展、楽しみにしております。(石原拝)
Commented by sumus2013 at 2015-07-06 20:40
徳正寺でお会いいたしたく!
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