林哲夫の文画な日々2
by sumus2013
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海の本屋のはなし

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平野義昌『海の本屋のはなし 海文堂書店の記憶と記録』(苦楽堂、二〇一五年)読了。面白い…と言っては語弊があるかもしれないが、極力抑え気味ながら、例の平野節で海文堂書店の創業(大正三年)から閉店後までを一息に読ませる。勤務していた書店員たちのインタビュー形式の記事には教えられることが非常に多かった。

やはり「閉店」の真実については、これまで断片的に聞かされてはいたものの、改めて文章として読むと暗然とせざるを得なかった。詳しくは本書を読んでいただきたいが、こんな簡単な通告だった。

《[2013年]8月5日、朝礼で経営者から「閉店」が従業員に通告されました。いや、正確には「通告」すらなされていません。この時、彼は何も言わず私たちに3枚の紙を配りました。》

どうして、経営者は唐突に閉店を決心したのだろう? しかしどうもそれは唐突ではなかったようだ。

《神戸新聞(2013年8月6日付朝刊)のインタビューで彼は《私か、東京で出版事業などを継いでいた兄か、どちらかがいなくなれば書店は閉めようと決めていた》とも言っています。》

巻末の詳しい年表によれば島田誠退任(二〇〇〇)の後、社長に就任した岡田吉弘(兄)が逝去したのは二〇一一年二月である。その前年、島田氏夫人悦子(岡田一雄の長女。長男が吉弘)が歿していた。これも閉店の要因としては大きいだろう。そして吉弘の後継者・岡田節夫(平野が一貫して「経営者」あるいは「彼」と呼ぶ人物)が社長に就いた。要するに二年半前に閉店は決まっていたということになる。

やる気のない経営者が後継したということで閉店は避けられないものだった。売り上げは下降していたとしても海文堂書店がどうしようもないくらい赤字まみれだった、というわけではないのだ。島田氏から直接聞いた話では海文堂書店が経営母体に支払っていた家賃は閉店後に入ったドラッグストアの家賃よりもずっと高額だったという。何をか言わんや。

しかし一番悔しいと思ったのはこの一文である。

《なくなってしまうものはなくなってしまいます。私たちもあきらめました。働く者として何の権利も主張せず、ただただおとなしく引き下がりました。》

これはいかんでしょう。小生はこれまで勤めたことがないのでサラリーマンの心情については何も分らないし、どうこうも言いたくはないけれど、これはいかんぜよ。

《後に聞いた話です。取次会社と銀行から、返品不能品(不良在庫)が少な過ぎると疑問を持たれたそうです。返品時に各担当者がきちんと「了解」を取っていたために、逆送品は少ないものでした。返品不能になった本はほとんどが廃業出版社のものでした。海文堂スタッフたちは、プロとしての始末を見事につけました。》

ああ、羊たちよ……


『海の本屋のはなし――海文堂書店の記憶と記録』を語る
平野義昌(著者、元海文堂書店員)×柴野京子(上智大学准教授)
7月5日(日)16時~ 東京堂書店


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by sumus2013 | 2015-07-03 21:03 | おすすめ本棚 | Comments(2)
Commented by 岩田 at 2015-07-04 12:28 x
読むのが、12時27分から楽しみ(不謹慎な言葉?)否、興味深いです。明日読めます。
Commented by sumus2013 at 2015-07-04 20:03
年譜も含めよくまとまった内容だと思いました。堪能してください。
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