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どうなとなれ富士正晴『どうなとなれ』(中公文庫、一九八〇年八月一〇日、カバー=大沢昌助)を某書店の店頭棚から拾い出した翌日、中尾務さんより富士正晴『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』(富士正晴資料整理報告書第20集、茨木市立中央図書館富士正晴記念館、二〇一五年二月二八日)が届いた。昨日取り上げた寺島さんについても同じなのだが、このところ不思議と本が本を呼ぶ。 『仮想…』について中尾さんの「解説」冒頭を引用する。 《富士正晴は、生来、講演を好まなかった。 一九四九年(昭和24)年七月、富士正晴は竹中郁と倉敷におもむき、ふたりで講演にのぞむが、はじめに出た富士は七分間ほどで降壇、あとをまかされた竹中は富士の分もふくめ、一時間半の長丁場をこなすはめになった。(中略) 一方、〈人の前〉でなく原稿用紙を前にした〈仮想〉の講演では、富士正晴は生きいき伸びのびとしてくる。「仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説」(以下「仮想演説」と略す)で、その闊達な語り口を楽しめることうけあいである。といっても、「仮想演説」においても富士は《途中退場》しようとするのであるが、このあたりについては、後述。》 この後、中尾さんはVIKINGの足跡を辿り直し、離合集散のありさま、富士が演説のなかで縷々述べているところを簡潔に記述しておられる。そして「仮想演説」中にかなり長い文献引用があることに着目して小沢信男さんが《ノリとハサミ》による創作と喝破した富士の伝記小説作法に言及する。そして一九五三年九月から五四年七月にかけて執筆された「仮想演説」はその二ヶ月後五四年九月に開始される『贋・久坂葉子伝』を方法的な面で準備した、という見解を示しておられる。 一方、『どうなとなれ』の解説は山田稔さんである。山田さんは富士のなかに「ニヒリズム楽天主義」と「鬱々たる上機嫌」という二面性を見て取る。前者にまつわる不愉快と退屈を紛らすため《厄介な、根気のいる仕事にとりかかることを考えつく》、それが一連の伝記作品(竹内勝太郎、桂春団治、花柳芳兵衛、榊原紫峰、花田清輝、久坂葉子ら)になる。他方、後者は雑談という形をとり、それはそのまま雑談形式の作品になる。 《雑談形式をとった作品はこの数年来ふえている。そして最初は対話であるはずであったものが次第に対話から独白、モノローグへと変わりつつあるようだ(たとえば『心せかるる』の連作)。いや、そもそも富士正晴の「雑談」は対話でなく、彼の意識の裡での自己との対話、自問自答の性格をそなえたものではなかろうか。それはまたモノローグによる自己批評でもある。》(『どうなとなれ』解説) 『どうなとなれ』にはこれら二系統の作品が収められているわけだ。「どうなとなれ」「坐っている」などが雑談風で、「花柳芳兵衛・母恋」や「牧野の殿には大閉口」が伝記、そして父の死と檀那寺の和尚の死をからめて描いた「玉山倒壊」が伝記と雑談の混じった私小説ということになる。 そういうふたつの系統から考えると『仮想VIKING50号記念祝賀講演会に於ける演説』は雑と伝の融合体、富士正晴アマルガムとでも称すべき代表的な作品ではないか、と思いついた。あるいは富士の頭には実験小説のような気分があったのかもしれない? まあちょっと他では読めないような作品だということは間違いない。 「仮想演説」の冒頭、一九五三年の政治情況が俎上に挙げられる。これがすこぶる面白く示唆的である。『VIKING』が50号にも《なりよった》ことを《感激的でない感激》だと述べてこう続ける。 《例えば、ははん、また自由党が第一党か、奴隷は自分を一番苦しめ、ふみつけにするものを愛するというからね、ははん、やっぱりねえ、とか、ははん、自衛軍か、国土が荒れ放題に荒れ、13号というけち臭い台風ですらこんなにこたえるように痛んだわが国の金を大砲やら軍艦やらジェット機や、軍事物理研究所設立に使って、尚更に日本という土地の土を海中へ流しこんでゆくということは、正しく自衛の自衛なるものに相違あるまい、日本は生産のためにではなく、生存のためにではなく、不沈軍艦のごとき基地のために、死のためにのみ存在価値のある荒地にするというわけで、全く自衛プロパーである、尤もその自[傍点]という字はやせほそる一方だが、ははん、やっぱりねえとか感激したわけでありました。》 55年体制の始まる前の段階でこの有様だったとは……恐るべきマンネリズム。山田稔さんによれば要するにこれが不機嫌の原因である。だが 《彼はどのような現象にたいしても「大義名分」を降りかざすことをせず、「私的な目」で見る立場を崩さない。威勢のいいもの、颯爽たるものを信頼しない。一切を疑い、しかし絶望はしないのである。》(『どうなとなれ』解説) こういう姿勢を貫ける人がいったいどれほどいるだろうか。
by sumus2013
| 2015-04-29 20:57
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